第12話「修行」

 

人間生きて行く中、覚えることもあれば、忘れる事もあるわけで。
けれど覚える傍から忘れるのはいかがなものでしょう?

はあぁ〜……と、本日何度目かのため息をついた。
部屋の隅でずっと椅子に座っているのも辛いものがある。
教育係の視線の先には、聖とケイルがいた。

まだ本と睨めっこ中な聖。対し、再び丸めた本を持ち構えるケイル。
既に勉強スタイルはこれで決まっているようだ。
そしてたまーにケイルが質問、聖が答え、答えが間違っていれば丸めた本でスパーン!
と、小気味いい音を立てて殴られ、怒鳴られの繰り返し。

そういえば、大使は長から習ったと言っていた。
長……こんな教え方してたのでしょうか……?
そんな疑問が教育係の頭をかすめた。

あの常日頃人のいい笑顔を向け、絶やすことの滅多に無い長。
その人がその……間違ってれば、丸めた本か何かで殴って怒鳴ってたわけで?
少し、いや、全く想像できない。あの長が怒鳴る場面など想像できない。
ましてや眉をつり上げて怒る場面など、一度も見たことが無い。

いや、待て。
あの人の場合、にこにこと笑いながら怒るのだろうか。
そしてにこにこと笑いながら勢いよく頭を叩くのだろうか。

……十分あり得る。というか、逆に怖い気がする。

思わず同情してケイルの方を見る教育係。
その視線に気がついて、ケイルの方は機嫌悪そうに聞く。
隣では、聖が頭を抱えながらうーんうーんと唸って本を読んでいる。


「……なんだ?」
「いえ、何でも無いです」


そして教育係も即答するのだった。
この勉強会は、いつになったら終わるのだろうか。
聖が少しでも覚えない限り終わらないんだろうか。

さっきまで答えられていた事をしばらく経ってから聞けば、すっかり忘れている。
その状態がさっきから続いているのだから、きりがない。

まあ、10センチもありそうな厚さの本の内容だ。
一気に覚えろというのは無理だろう……。
その辺をケイルは分かっているのか、いないのか。


「ばぁーか、また間違ってるじゃねぇか」


べしん、と頭を叩く音と、「いたっ」という声が聞こえた。


「いい加減やめろよってさっきから言ってるだろ本当にバカになるからヤメロって訴えるぞ」
「その動かない頭に入るように、脳細胞刺激してやってんだよっ。訴えられるもんなら訴えてみろ」
「……聖君、何も一言で言い切らなくても。大使、ちょっと落ち着いて下さい」


低レベルな言い争いだ。
彼女の静止の声は二人に聞こえているのか、いないのか。
いや、この部屋の中だ。聞こえているだろう。確実に。
それでも止まる気配はない。


「次。天界を象徴している四属性は?」
「……えー……あ。……うー……」
「さっきやったっつーの。覚えとけよ、そんくらい」
「風?」
「ああ」
「……水」
「正解」
「……火?」
「はい、不正解ー」


呆れた声と同時に、見事なまでに決まった丸まった本。
相変わらずスパーンと音を立てたそれは、だんだんと変形してきている。
原因はただ一つ。殴り過ぎだ。


「あー……だんだん痛くなくなってきた」
「慣れたんだろ」
「痛覚が麻痺してきてるんじゃないですか? 大使、殴り過ぎだと思うんですけれど……」
「だよなぁー」
「てめぇが覚えねーからだろ」
「わーお。責任転嫁したよ」
「……何でそういう、こ難しい言葉だけは覚えてんだ?」


こうしてだらだらと、少しずれた神指導は続くのだった。

 


 

一方、ユマは空を飛んでいた。
空を飛ぶというよりは、ゆっくり落ちていると言った方があっているか。


「……なーんか、変なのー……」


危機感も何も無い。落ちる人間の感想がこれである。
地面まであと何メートルも無くなり、彼女は人混みの中にストン、と降りた。
それに驚く者は誰一人もいない。

スッ、と手を差し出すと、通りすがりの人の肩に触れた。
が、何も起こらずにそのまま相手は去っていく。


「本当に見えないんだねー……ってうわぁ。身体も無くなってんの? これ」


まじまじと自分の手を観察するが、別に普通に見える。
他にも何回か試してみたが、自分の手は相手の身体をすり抜ける。


「……怖っ」


正直な感想を漏らした。
まるで自分が幽霊にでもなったみたいだ。……今は悪魔だが。

さて、どっちだったかなー。
と、キョロキョロ辺りを見回しながら彼女は人混みの中を進んで行く。
その間にも彼女の身体を何人かがすり抜け、その度に彼女は驚くのだった。

それにしてもこの身体、便利な面もあるかもしれないが不便な面も早速見つけた。
声をかけても相手は気がつかないから、道も聞けやしない。

やがて看板を見つけるとその方に小走りで近づく。
地区名の表記されているそれを見て、大体の場所は掴めた。
自分の目的地へと向かって彼女は歩き出した。

『三隅 薫』さんに、『赤城 修』さん、だっけ。

自分が監視しなければならない相手の名前を思い返す。
高校二年生。いずれ自分が入りたいと思っている高校に通っている、言わば『先輩』。
悲しい話。そう呼べるのは、高校に入ることが出来たらの話だが。

自分は今年、受験生。
しかし、今やっていることと言えば……。

自分の頭の上にあった帽子を被り直す。
黒マントに帽子。
魔術師らしい格好で、ちょっと悪魔のイメージからは離れているがこれでも悪魔なのである。

それにしても何故こんな格好なのか。
それを天界の長に聞いてみたところ、

「それはねー。特殊な能力を持った人の正装なんだよ。他の者と区別がつくようにね。ちなみに君は魔族だから黒尽くめだけど、神族になると白尽くめなんだよー」

と言った。確か。

これが正装なのか。……神族になる……と、白尽くめ……?
誰だ、こんな格好するように決めたのは。
この世界の決まり事ってなんだか分からないな、と思ったユマだった。

 

ふと思った。
前世が悪魔だの、名前が無ければ力のコントロールが出来ないだの、そう言う説明は一通り聞いた。
けれど、これからはどう過ごすかを聞いていない。
……やはり、もう普通には過ごせないのだろうか。

そう思うと少し悲しくなった。
不思議な力───魔法───が使えるようになったことで、面白いとは感じる。
けれど反面、多くのものを無くしてしまった気がする。

今の自分は、人には見えない。
なら、家族に会えないだろうし、友達とだって遊べないんだろう。
遊べないどころか話も出来ない。

自分が住んできた世界では、自分は誰にも見えない。誰にも声が聞こえない。
今まで過ごしてきた日常が崩れていく。
それでも周りは変わらずに、日々平穏に過ごし続ける。

───自分が変わっただけだ。

何度言い聞かせても、どこか踏ん切りがつかなかった。

 


 

タタタ、と一人の黒マントの少年が、黒を基調とした都市の中を走る。
振り向く人々には手を挙げ「どうも!」と声をかけながら。
そんな声をかけられた相手は、呆然とした後に「ああ、あの子か」と思い出す。
あれが『リファン』が指導をしていると言った少年か。

あの人の後に、あんなに気さくな性格の少年がつくのは未だに信じられなかった。
“四重の守護者<ガーディアン・カルテット>”に。


「おーっす! こんちはー!」


と、少し遅れ気味ではないかと思われる挨拶をした少年の先には、厳格そうな女性がいた。
黒を基調とした服に、羽織っているローブは独特のもの。
彼女は魔界の『ガーディアン・カルテット』、『リファン・オルク』だ。


「馬鹿者、遅い」


そう言って少年へ素早く歩みよって、頭を軽く叩いた。
ベチ、と間抜けな音がして、少年は「すんませーん」と反省していないような口調で謝るのだった。


「一体どうした」
「あー。幼なじみに会ってたもんで」
「なるほど」


リファンは腕を組み、自分より幾分か背の低い少年を見下ろす。
少し切れ長の目が彼女を美人ながら、怖そうに見せる。
けれど奥にある瞳はどこか優しげだ。


「よし、始めるか」
「おー!」


拳を掲げて叫ぶ。どこまでも一人だけテンションの高いディックであった。
彼女の言う「始める」とは、四重の守護者としての教育の事だ。
まあ、それを受ける本人は「修行」とか言ってるが。


「力の制御練習だ。火でも土でも何を出しても良い。球体を作ってみろ。集中」
「はっ」


合図とともにディックが両の手を前に出す。
ぬぬぬ……と唸りながら、頭の中では球体を。ボールを思い描く。
だがおかしなポーズだ。なんというか……そう。
あえて言うなら、ビームが出そうだ。


「馬鹿者」


またもやベチッと音がして、ディックはポーズを止めてリファンの方に向き直った。
頭をかきながら「なーんですかー」と言うと、彼女はこう言った。


「何を出しても良いとは言ったが、格好は何でも良いと言った覚えは無いぞ?」


つまり彼はふざけていたらしい。
「はーい。分かりましたよー」と、いまいち信用できない返事をする。
そして彼は再び、今度は普通に立ったままの状態で集中しはじめた。

球体を思い浮かべて、両手を上に向けて開く。
その指先からは火の粉が出ていた。
手を開くと同時に、指の軌道に沿って火の粉も踊る。

今度は掌。その上には、今は何も無い。
そこへ先ほど頭の中に描いたボールのイメージを持ってくる。
徐々に掌が熱くなる錯覚を覚えた。

……いや、錯覚ではない。
本当に熱い。


「あぢ!」


熱い、と上手く発音できていないのは置いといて、熱さに思わず集中を切らした。
そして手を振り、息を吹きかけ、冷やそうとする。
そこでリファンは「あーあ」と、呆れた声をもらした。


「球体が、手に乗っているところを想像しただろう?」
「……ぁい」


心なしか、少し涙目になっている。
冷やそうと賢明な努力を試みるディックの掌に水がかけられた。
どうやら彼女が出した水らしい。


「馬鹿者。手に火がつくところだったぞ」
「うわー。オレ、もうちょっとで火だるま人間だったんですか」


火だるま人間?
言っていることが大分大げさになっているが、彼女は「そうだ」と頷いておいた。
それに彼は「うあー」とか「いひゃー」とか、良く分からない声を上げる。


「いいか。空中に浮いているところをイメージするんだ。それか火は止めておけ」
「……火は止めときます」


さっきのがよほど応えたらしく、彼はそう言い切った。
いつもならふざけるはずなのに。
少し珍しいものを見たような気がした。


「なら……土、だろうな。お前の今の実力で上手く操れるのは」
「はーい」


そして彼は再び構え直した。

 


 

「うーん。一体何だろう」
「さーて。何だろうな」


二人は妙な会話をした後に、ふふふふふと怪しげな笑いをした。
口調はわざとらしく、明らかに二人のキャラは変わっている。
彼らを止めるに止められず、教育係が冷や汗を流した。


「これって一体なんでしょうねぇ。二つの仮面を持つ男、ケイルさん?」
「さあ、一体なんでしょうか。二つの仮面なんて持ってないですよ、聖君?」


聖、とてもわざとらしい。ケイル、その喋り方が既に違う。
誰かこの二人に干渉できる者がいるならそう突っ込むだろう。
残念ながら、この場にそんな事が出来る者はいない。
いるとすれば、おろおろしている教育係。


「こんなん分からないです」
「いいからやりなさい」


聖が否定すると、ケイルがあっさりと笑顔で切り捨てる。
笑っているが逆に怖いのは気のせいか。

普通に反抗しても叩かれるか脅されるか。
それが分かった聖は抗議していた手段を変えたらしい。
先ほどまでは 「こんなもんが出来るかーっ!」と叫んでいたのを敬語に変えて。


どころがどっこい。
ケイルも仕事用の顔へとキャラを変えてきたではありませんか。


やっぱ『二つの仮面を持つ男』だよ、こいつ。


遠い目をしてそんな事を考えた。
そして笑顔で返してみた。


「どうしても分かんないんですけど、こういう時はどうしたもんでしょ?」


するとケイルも、仕事用の人当たりのいい笑顔で返してくる。


「そういう時は、これです」


丸めた本を見せながら。……結局、殴るんだ……。

こんな勉強なんて受けたことがない。
ま、親が自由奔放主義だったのもあるのかもしれないが。
俗にいう『スパルタ教育』ってやつだろうか。これは。

今、聖の目の前にあるのは本ではなく紙だった。
まあ、それまでは良い。


白紙を出された言われた日にゃあ、一体どうすれば。


もしかしたら、これも読めると思えば読めるのかもしれない。現にさっきの本もそうだ。
のたくってるようにしか見えなくて、明らかに外国語で書かれた文章が出てきた。
この世界の文字らしいが。あれは読めないと思っていれば読めないそうだ。

ただの白紙。
読める、読める、と暗示のように自分に思い込ませてみたものの、読めない。
字が書かれていないのをどうしろと。

横を見れば、にっこにこと怒鳴っていたのが嘘のような笑顔がある。
怖い。逆に怖い。 俺が怖がっているのを分かっててわざとやってんのか。
言いそうになったが、多分「え?」とか「なんのことですか?」とかごまかすのは目に見えている。

さて、どうしよう。
聖は横目でケイルを睨んでから、目の前に置かれた紙を睨んだ。

 

 

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アトガキ。

タイトルに特に意味はないです…(おいおい
あえて言うならディックのことかな。
毎回のことだけど、視点コロコロ変わり過ぎててすんません。
また新キャラでてすんません。