「動くな!」
その怒声に、は? と一人が声を上げ、ち、ともう一人が舌打ちをした。
File 1 :[異端な放浪者]-03
振り返ると、そこにいるのは青年を追っていた警備隊。
(もう追い付きやがったな)
追われていた青年は内心で毒づく。結構距離はあけていたと思ったが。
「えーっと?」
いまいち状況を飲み込めないリーザスは、もう一度集団を見る。
そして「あ」と声を上げた。
(あれって、確かジジィんとこのガードじゃねーか!)
もう何度も行っているから分かる。あの服装といい、見たことがあった。家の周りで警備をしていた人達だ。そう、普段なら警備をしてるはずなのに何故こんなところに居るのか。彼が思い当たったのは一つだった。実は、何回目になるか分からない修理のストレスと、暑さの手伝いもあったのか。苛ついた頭で一つ、悪巧みを思い付いて実行してしまったのだ。端から見れば欠陥修理に過ぎないかもしれないが、専門家が見ればそれだけでは済まされない問題だ。
修理していたのは今の時代にはかかせない乗り物で、それの欠陥を直していた時に、エネルギータンクにわざと穴を開けておいた。みみっちいけれど一歩間違えれば危ない。燃料が漏れて、もし引火でもしたら? 本当に冗談では済まされない。
苛つきながらも良心が働いたのか、近くに火気が無いことを確認して開けたが。万が一のことがあったら大変だ。第一、あの機械を動かす燃料も引火性ではない。
しかし、エネルギータンクを直すのに補修する材料は結構値が張るし、補修してもいずれエンジンごと取り替えなければならない。こんなことをしても、結局あとで自分がまた直しにこなければならないと言うことは分かっていた。けれどその時考えていたことは一つ。
───金さえあれば直ると思ってやがる。少しは困ればいいんだ、バカ野郎。
本当にみみっちいとは思う。思うが少しだけ鬱憤が晴れた気がした。
その瞬間「ざまあみろ」とも、どこかで思ってもいた。
(ヤッベー、バレたのか……)
ここの警備員がいるということは、やはり使っているうちに出来た欠陥ではなく、自分がやったものだと分かって追ってきたのか。
だらだらと冷や汗が流れた気がした。よく考えれば相手は金を使って何でも出来る、事実上での“権力者”。金さえ使えば動く人間は何人もいるはずだ。そしてそいつが一言「捕まえろ」と言ったらなら自分は捕まるだろう。単純で嫌な方程式が頭の中で浮かび上がった。
捕まる=犯罪者。
まあ、欠陥修理をした時点で自分はどうかしていたのかもしれない。下手をすれば犯罪者の一歩手前だ。一歩手前、で済むのか分からないが。
こうなればどうするべきか。今思い付いた手段は二つ。
一、逃げる。
二、この場から消える。
(……同じじゃん!)
暑さのせいで回らない自分の頭をこれほど恨んだことは無い。
ああ、今日は本当にどうかしてる、と彼が嘆いている間にも事は進んでいく。
目の前に居る警備員が意気込んでいるのが分かる。「ここは一つ、穏便に話し合いでもしませんか?」と言ったところで多分無理だろう。けれど一つだけこの状態から逃れる方法を思い付いた。
芝居をする。ただそれだけ。
が、それは隣に居る銃を突き付けた青年と協力しなければならなかった。
銃を突き付けてきた時点で第一印象は最悪。この状勢なら命を狙われるなんてことも滅多なことではない。護身用として銃を持っていてもおかしくはないと思う。
───けど、突き付けるところまでするか、普通。警戒し過ぎだろ。ついさっき会ったばかりだし、打ち合わせもなしに合わせられるのか。その前に、ろくに話そうとしなかった奴が協力なんてしてくれるのか? 望み薄だ。
どうすりゃいいんだ。と、頭を抱えたくなった。
とりあえず少し様子を見よう。
そう考えたものの、様子を見るだけの余裕があるのか。
「逃げる気か?」
毒づいてから一言も喋らない青年に向かって、警備隊の隊長は言った。
互いに睨み合い、一方は銃口を向けている。青年も銃を持っていることは持っているが構えていない。圧倒的に青年の方が不利だった。
そんな時にする行動といえば一つ。逃げることだ。
愚問だ。と青年は思った。そんな分かりきっていることを何故聞くのか。こうしている間にも何故自分を捕まえようとしないのだろう。有利なのはそちら側なのだから、撃つなり何なりして動きを封じて捕まえてしまえばいいものを。実際にそんなことをされたら困るが。
背中を向けているこの状態では、たとえ銃の腕に自信があったとしても不利だろう。振り返って撃ち、その隙に逃げる。正確性に自信はあるが、絶対に相手を撃たないと言う自信はない。下手に怪我をさせると後々面倒なことになる。そう考えて今までこうして追われるようなことがあっても、追ってきた相手を撃ったことはなかった。ならば今回もそうするだけだ。
その前に、銃の中に弾が入っていないのだが。
ここを切り抜ける方法を考える。幸い、この手の中にある銃に銃弾が入っていないなど、さっき会ったばかりの奴以外は知らない。
脅しをかけてみるか。だがこの状態では動けそうもない。足を動かした途端にかけられる言葉は「動くな」と「撃つぞ」だろう。向こうは本当に実行しかねない。
もう一つ思い付いたことと言えば、人質を取ったふりをすることだった。この場合、人質役となるのは───さっき会った奴だろう。けれどそいつには銃弾が入っていないことがばれている。もしその手を使うとすれば、演技で合わせてもらうしかないだろう。
……無理だな。
好き好んで『犯罪者』にわざわざ協力する奴がいるか?
(これからどうするかな)
仲間から『隊長』と呼ばれる男は考えていた。
目の前にいるのは二人。一人はさっきから追っている『犯罪者』だ。しかし、もう一人は誰だ?
───この時点でリーザスは全くのノーマークだった。このことを本人が知っていれば、後の展開も変わったのかもしれない。
(下手に撃っても、さっきのように逃げられるのがオチだな)
かなり警戒しているのが自分でも分かる。
本当にあの時の動きの速さは尋常ではなく、なんと言うか“獣”のようだった。
あの速さで動く奴を今度は捕まえられるのか。そう考えると難しかった。動きを見たのは、あの時一度だけ。速いということは認識できるが、どう動くかは想定できない。ある程度分かっているなら銃で狙うことも容易だが。
わざと乱射するという手もあることはある。けれどこの人数と形態と場所では同士打ちになりかねないうえに、あの横にいるもう一人───多分、一般人───にも当たりかねない。
こちらに呼んで非難させるかと思った。が、しかし、本当に一般人か?
もし何かの犯罪者かだったとしても「あなたは一般人ですか?」「そうです」で会話が終わってしまって、本当かどうか判断ができないだろう。第一、そんな間抜けな行動など取れない。
難しいところだ。銃を突き付けられているのにこの落ち着き様といい、ただの一般人とも言えないだろう。
こうして一人一人がどこかで互いの様子をうかがっているうちに、刻一刻と時間は過ぎてゆく。
誰も動けない。
妙な緊張が走る。
それを破ったのは警備員の一人だった。
「あ。あれですねー」
あれ、とは何のことか。それは彼女の指先を見れば分かることだ。
指先は確実に青年の方を指している。
「いいから、とりあえずお前も構えろ」
「はーい」
隊長の男が言うと彼女はホルスターから銃を取り出す。銀の銃身に光が反射して一瞬だけ彼女の顔を照らした。続けて何人かの警備員も銃を構える。
向けられている幾つもの銃口。青年の方は反応をしなかったが、リーザスの方は「げっ」と言いたげに口元を歪ませた。警備員達を見て、続けて青年の方を見て状況を把握しようとする。だが、かえって混乱しただけだった。
(何だよ、これ……)
見渡せば銃口ばかり。
これを一斉に撃ちだしたらどうなるのだろう。
ぐっ、と喉が鳴った。
───ああもう、この人数といい、銃の多さといい、これは一種の市街戦だ。犯人逮捕の現場ではない。下手をすれば死人だって出るだろう。特に狙いやすいのは、反撃する可能性が低い、銃を持っていない───考えなければよかった。
今度は少しばかり回り出した頭を恨みたくなった。でも人とは不思議なもので、嫌なときほど察しが良かったり、勘が働いたりする。思考を巡らせても巡らせても、脳内に浮かぶのはこの状況を変える手段ではなく、疑問と空想、それに推測結果ばかりだ。
今まで生きてきた中で、ここまで追いつめられたことは無い。
あー。だから頭が回らないのか。うん。
と、リーザスは一人納得するが、今は本当にそんなことを考えている場合ではない。どうしようか。そう思っていると、どこからともなく警備員の一人が、自分の手に握りしめている物を見ながら前に出てきた。
「あの、隊長。今気付いたんすけど」
「なんだ」
「これ、偽物っすよ」
え、と全員が声を上げ、一斉に同じ方向を向いた。あの一番警戒していた隊長でさえもだ。
警備員の手に握られているのは光り輝く石だ。太陽の光を受けて十字の光を放つそれは、いかにも宝石として価値がありそうだ。しかし現在石を持っている警備員が紡いだ言葉は『偽物』という一言。どこでどう判断したのかは分からない。目利きだろうか。
ボーッとしながらそんなことを考えていたリーザスはハッとした。
───今だ。絶好のチャンスがやってきた。様子をうかがいながら静かに後退する。ジリッと足元で砂が音を立て、少し驚いたが相手は気が付かない。このまま反転して───走れ!
この時、リーザスは気が付いていなかった。そして後にすぐ気付かされることになる。自分がとんでもない墓穴を掘ったことを。そして、この事実に気がつきはしなかったが───同時に、真っ直ぐ進むはずだった道を、曲がってしまったことも。
逃走を図ったものの、すぐに気付かれた。一人だけこちらを向いていた例の警備員が「あ。逃げた」とポツリと漏らしたからだ。
「ま、待て!」
こんな危機的状況で、そんなこと言われて止まる奴がいると思うか!
内心で毒づきながらもリーザスは走る。
「撃て!」
隊長は動揺しながらも狙撃命令をする。
先ほどまでリーザスに当たる事も危惧して撃たなかったというのに、狙撃命令を出したのは何故か。
答えはいたって単純。逃げたからである。
一般市民なら何も無い限り逃げはしないだろう。それとこんな状況には慣れていないはずだ。こんな銃撃戦、否、集団狙撃が始まったところで腰を抜かすか、動けないかのどちらか。それなのにリーザスは今、逃げている。それも一瞬の隙を見計らって。明らかに逃げることを考えていての行動だろう。考え過ぎかもしれないが。何をやらかしたのかは知らない。けれど捕まえたら吐かせるか。
薬莢をまき散らしながら片隅でそんな事を考えた。
一人は素早く、もう一人は叫び声を上げながら逃げている。
これがリーザスの掘った墓穴。逃げなければ追われることも、この後に巻き込まれることもなかったかもしれない───
銃弾が土を抉る。出来るだけ怪我を負わせないように足を狙うものの、動きが早くて当たらない。
引き金を引くがガチンと音がするだけ。
───クソ、弾切れか!
支給されているウエストポーチに手を伸ばして予備弾丸を素早く詰める。再び前を見た時には、相手はちょうど次の区画へ続く曲り角を曲がっていた。
全力疾走をした。これまでにないくらい。
軽く混乱状態なのか、自分でもよく分からない叫び声を上げながら走る。
ヤバイヤバイ、すっげー撃ちまくってる!
背後から聞こえてくるけたたましい銃声を聞きながら「何でこんな目に遭わなければいけないのだろう」と思った。
自業自得ってやつか? そう考えると今の状況では「はははー」と情けない声で嘆くしかなかった。
ふと、リーザスはエネルギータンクの仕掛けを思い出す。追われているのはそのことがあるからだろう。そう考えると数時間前の自分がとても憎たらしい。
「あー、本当にどうかしてたよ!」
走りながら声を張り上げた。そんな声も銃声のせいで相手には届いていないだろう。
風によって冷やされた頭で少しだけ落ち着いた。気が付けば横にはあの青年が並んでいる。
「なんでついてくるんだよっ!」
「こっちの台詞だ」
冷静に返すが、口調だけで苛ついているのがよく分かった。
「お互い、同じ出口に向かってるってわけか」
リーザスが呟く。コンクリートの壁で区切られているこの街の出口。それは最大で四つある。彼らの居た場所からだと一番近いのは、ここから一キロほど先の第一区画から繋がる出口だった。お互いにこの街の地理に詳しいのか、自然と同じ結論が出たのだろう。
それが不快だったのか。青年は不機嫌そうな眉根をさらに寄せ、リーザスは顔を背けて露骨に嫌な顔をした。この時も考えていたことはお互いに一緒。ただでさえ追われているのに二人で同じように行動するとなると標的にされやすい。それだけだ。
案外同じ思考の持ち主なのか。一人が街の中に紛れて、他の出口から出ればいいものを。
ところが距離の遠い他の出口から出るとなれば、逃げている間に再び見つかる可能性も高い。 同じ結論を出したからこそ同じ方向に進んでいるわけだ。
振り返ってみると後ろに人影が見えた。もう追い付かれたらしい。そう思っていると乾いた銃声が聞こえてきて、足元からわずか土の噴煙が上がる。明らかに狙われている。けれどリーザスはまだ良い方だった。どちらかというと隣で走っていた青年の方が集中的に狙われている。
───本気でどうしよう。こんなことになるなら、今日の依頼断ればよかった。……いや、断われなかったから、ここにいるんだけどさ……。
と、考えているリーザスの耳元を何かが高い音を立てて掠める。
「へ?」
そして次に聞こえたのは破砕音。見ると近くに山のように積まれていた木箱が鈍い音を立てて崩れる。
───えーとつまり、今のは銃弾……。
一気に血の気が引いた気がした。
相手は本気で撃とうとしている。このまま逃げ続けても、撃たれるのも捕まるのも時間の問題だ。何か、何か無いかと考え、そこではっと思い出した。
───ある! 一個だけある! でもこれを使ってから逃げ切れるかどうかが問題だ。一個しか無いし、その後にまた追い込まれたりしたら逃げ切る自信が無い。
どうしよう、どうしようと、リーザスは逃げながらわざわざ手で頭を抱えて考えるという小器用なことをした。この先の見えない状況を打開するにはどうすれば。混乱しているせいか、どうしても落ち着いて考えることが出来ない。
で、導き出されたのは一つ。
「なあ、隣で走ってるお前! 今だけ! お互い、今だけ協力しよう!」
結局、先ほど捨てた最初の「協力する」という考えを採用することに決定。今「だけ」と言う言葉に力を込めて言ってみた。「誰が」と一蹴りされるかと思ったが、向こうもこのまま逃げるだけでは分が悪いと判断したのか「分かった」とボソリと一言。
そうとなれば、と、腰の当たりに付けているポーチの片方に手を突っ込んで探した。間違ってもう片方に入れるはずだった工具があり、地味に手をぶつけたりしたが見つけた。
赤色の小さな丸い物体が彼の手に握られている。後ろを確認しながらそれを地面に向かって叩き付けた。追っていた警備隊の隊長が地面に転がった何かに目を向けた。
(何だ?)
ただの赤っぽい石かと思った。
ところがそれは次の瞬間に破裂し、信じられない程の量の煙を噴き出した。
「ちょっとなんですかぁー、これ!」
きゃー! と隣にいた副隊長が叫んだ。
「ごっ、こっちが聞きたいくらいだ!」
げほげほと咳き込みながら律儀にも答えた。
シューと音を立てながら赤い煙が充満し、視界を遮る。仲間も突然の事態に混乱しているようで統制が上手く取れない。そりゃあ、訓練された警察とはワケが違う。それなりに腕の経つ狙撃手やら何やらを集めて即席で結成したような警備隊だ。こういう時に上手く立ち回ることは出来ないだろう。
「追わないと逃げてくっすよ、あいつら」
石を持っていた女がマイペースに言う。何でお前だけそんな平気そうな顔なんだと思ったが、後ろの方にいたおかげで煙を吸い込まなかったらしい。
「お、ごほっ、お前、『逃げてく』じゃ……平気なら、先に追えー!」
「えー。でも追うってことはこの中に入らなきゃならないし、そしたら煙吸い込んでアウトじゃないっすか」
煙は催涙効果でもあるのか。咳が止まらなければ、涙までだらだらと流れ始めた。こういうものは煙を吸い込まなければ何ら効果はないはずだ。が、不覚にも突然の事態に対応が出来ずに今はこの状態だ。
「ごほっ、ああ、そうだっ、なぁ。確かにそうだなぁ、馬鹿! 息止めてっ、潜るという方法はっ、思い付かんのか!」
「あ」
「『あ』って、ごほっ、なんだ! 今気付いたのかっ」
「見事に引っかかってる隊長に言われたくないっすね」
そのマイペースなのかよく分からない「我、関せず」的な思考は何とかならんか。
いつもならそういうことくらいは言うが、今は咳に邪魔されて言葉が出てこない。
「ぐ、と、とりあえず出ろ、全員後退しろ!」
そうして赤い煙から出てきた時には、全員が涙を垂れ流しにしていた。咳き込み過ぎて喉が痛み、息が荒い。
「あーあ。こりゃあ全員、落ち着いてからじゃないと追えないっすね。よし、一休みだ」
「お前は、先に追ってろー!」
「休みだ休みだ」と、さっそく地面に座り込もうとした姿に怒りぎみに叫ぶと「はいはい。了解っす」と軽い返事が返ってきて、煙の中に人影が突っ込んで行った。