第一印象は、はっきり言わなくても最悪だった。

 

File 1 :[異端な放浪者]-02

 

「あー。疲れた」
 黒髪の少年は自分の左肩に手を置きながら、うんざりとした様子で言った。ぼそぼそと「今日の依頼者、最悪だったし」と。独り言か、文句か。どちらかと言うと両方かもしれない。
 ふと、ボーッと空の一点だけを見つめ、スゥっと息を吸い、そしていきなり
「やってられっかあぁ────!!」
 と、今日の仕事の鬱憤を晴らすかのように叫ぶ。少しすっきりはしたが、逆にさっきの苛立ちとは入れ替わって虚しくなってきた。
 「……オレ、何やってんだ」
 今度はそんな自分に対しての文句を言う始末。端から見なくても充分おかしな自分の行動を、うーんと唸りながら振り返る。ところが、はっと気が付けば辺りには人がまだいる。
 しまった。まだ街ん中だった。
 さらにその中の一人と目が合った。
「あ」
 どうしよう。すっげぇ気まずー……。
 思考回路が動く。どうする。こういう時はどうするべきだ。そして少年が一瞬、考えた末に行動をとる。
「あ、あはははは、はは。は」
 誰もが呆然とする中で乾いた笑いが響いた。そのまま少年は急ぎ足で領地内を出て行く。
 こういう時はとりあえず誤魔化すに限る。そう思って笑ったはずが、最初の絶叫と合わさって逆に怪しさは倍増である。
 ……逃げよう。
 彼と目が合った人は走り出した後ろ姿を呆然と見送っていた。

 

 第二区画の端。
 街中と人混みを抜け、しばらく黙って立ち続ける。呆然と空を仰いでいる様は、のほほんとしたものではなく、はっきり言ってしまえば間抜けに見える。ただでさえそうなのに口をポカーンと開けているのだから、さらに間抜けさが増している。
 本人は疲れのせいで呆然としているらしい。無気力な中にあるどんよりした雰囲気から感じ取れる。
 あー、と声を上げてガリガリと頭をかいた。その様子は苛立っているようにも見える。いや、実際に苛立っているらしい。
「あのジジィ、金出せば直ると思いやがって! 何回も壊すなっつーの!」
 そのまま近くにあった大きめのドラム缶を蹴った。だが、ぐわぁんと妙に鈍い音がしてドラム缶は少し揺れるだけ。蹴った本人は声にならない声を上げて片足を押さえていた。明らかに誰かの悪口だと思われる言葉は、その辺りに反響してすぐ消えた。

 思い返せば、依頼を受け始めたのはいつの頃からか。
 自分は壊れた機器類を直すのを主な仕事としていて、依頼があれば仕事をこなす。これがいつもの当たり前の出来事だ。
 そして今日依頼を受けて機械を直してきた場所。
 相手は一応この街の富豪。それなりに報酬も高く付けることが出来る相手。
 けれど、これで何回目だ。
 前にも、その前にも、そのまた前にも、さらにそのまた前。少なくとも計十回は同じ機械を直してるんじゃないだろうか。いい加減に物を大切に扱うことを覚えろ。と思うわけである。
 確かに儲けにはなるが、直す方の身にもなって欲しい。せっかく直したのにまたすぐ壊されてみろ。それも何回も。うんざりしてくる。
 自分はしっかり直してるつもりだ。けれど一週間……持てば良い方か。何をやってるのかは知らないが、呼び出されて直したかと思えばまたすぐに壊れている。これを何回も、何回も、何回も何回も何回も! そろそろうんざりを通り越して腹立たしくなってきた訳だ。
 で、八つ当たりでドラム缶を蹴ってみたものの、蹴りどころが悪かったのかこのザマだ。自業自得なのは分かっている。分かっているがそれにさえも腹が立ってきた。
 今日は気温も高い。苛立つのはそのせいもあるかもしれない。そうなんとか誤魔化して自分を落ち着かせてみる。
 ────……まあ、ちょっと仕掛けてきたし。ざまあみろ。
 と、横にある、今時珍しい、紙媒体のポスター────手配書が目に入った。
 砂のせいか少し煤けて、ところどころが切れたり破れたりしている。何枚か張られていて、見るからに凶悪そうな顔や「これ、何かの間違いなんじゃ?」と言いたくなるくらいの善人顔までずらりと並んでいる。
 なんとなく気になって見てみた。
「犯罪者リストねぇ」
 ボソリと呟く。
 その中に、張られてからそんなに時間が経っていないのか。比較的ボロボロになっていないものがあった。
 見てみると、一番最初に目に付いたのは名前らしきもの。
 これだけは目撃談だけで犯罪者の写真が撮られていないらしい。
 だがやはり砂のせいで痛みが激しい。ところどころ文字が読めない。
「ケ、ウ? じゃない、ルか」
 読みづらい。そのうち名前を読むのが面倒になって、その下の特徴が記されている部分に目を移す。だが大まかすぎると思った。
 髪と目の色。それ以外は不明。
「ようするに、何も分かってねーんじゃん」
 思わずそう言う。こんなありふれた特徴を持つ人間なんて五万といる。その中からこれだけで探すのはまず無理だ。さらにその下に目を移してみる。すると侵入罪と窃盗の容疑がかかっていることが記されていた。
 ───このご時世に、侵入も窃盗もたくさんあるだろうに。
 はー。と声を上げる。
 確か、リストは『連盟』の主体であるこの街と、近辺の賛同する街が合同で作っているはずだ。これだけ穴の抜けたものを掲示するなんて、間抜けなところを見せているのも一緒。さらにこの情報で街の住人に理解しろと言うのも無理だ。上げられている特徴がありふれたものである限り、犯人の特定は難しいだろう。だが何故名前だけは分かっているのだろうか。
 まさか犯人が何かやらかす度に自ら名乗っている訳ではあるまい。それこそ書き置きを残したり。そこまでいくと窃盗容疑のかけられている犯人と言うより“怪盗”と言う言葉のほうが合っている気がする。
 もう少し調べてから掲示しろよなー。と少年は呆れた。

 と、そこで、パァン、と音が聞こえた。

「ん?」
 今のは銃声だ。音のしたところはどこかと辺りを見回す。
 が、この辺りは周りがレンガ造りの家に囲まれている。人が居そうなところで発砲する奴なんているだろうか。
 ……いるかもしれない。それこそ、この手配書にある犯罪者の誰かが。けれどそんな目立つことをするのか? オレだったらまず、しない。
 だがあまりにも銃声が響きすぎた。
 堰を切ったように、さっきの一発の音から続けざまに響いてくる。
 待て待て。この街、他の街から襲撃されてるわけじゃないよな? と、思わず不安を覚えた。
 最近は砂漠に浮かぶ個々の街も安定してきたために、今では滅多に無いが、ほんの数年前はよく襲撃事件があったのだ。
 ────どれもこれも、長年続いた戦争のせいだ。
 むかーし昔の話である。元から街は点々と散らばってはいたが、今よりもっと少なかったらしい。それなりに大都市もあったらしいし、今は軍にすり変わっているが、政府もあってきちんと統一されていたそうだ。
 けれど戦争後の今、人は散り散りになって自分達で集落を作り、あちこちに住んでいる。その様子にもう統一する気がなくなったのか。それとも戦争での被害が一番大きくて統一するまで手が回らないのか。定かではないが軍は集落に一切口も手も出さない。
 そもそもどうやって戦争が起きたのかが、未だにはっきりと明かされていない───

 と、上から何かが落ちてきた。黒髪の少年は全く気付いていない。
 それがまるで狙っていたかの様に彼の頭に当たる。ガツッ、という鈍い痛みと音。突然の痛みに顔をしかめてしゃがみこんで頭を抱えこむ。何が当たったのだろうとその辺を確かめてみると、コンクリートの欠片がそこにあった。
 この街は区画事、そして街事体が砂避けのためにコンクリートで出来た壁に被われている。きっとそれだろう。
 けれど何故上から? 大方、風化して脆くなった部分が落ちてきたんだろうが。
 彼はそう思いながら上を見上げた。
「へ?」
 一瞬目を見張った。
 目がおかしくなっていないとしたら、これは本当だろうか。
 上から、人が降ってきた。
「う、うわっ!?」
 避けないとヤバイ!
 そう思った少年はハッとして後ろに避けるが、避けた時に砂で足を滑らせ、近くの壁に勢い良く頭をぶつけた。本日三度目の衝撃に頭を抑え、半分涙目になりながらも、今降ってきたのが誰なのか確認しようとする。
 砂煙が上がり、そこにいるのはどんな人物なのか確認するには時間がかかった。
 ───痛い。頭が痛い。目も痛い。砂が入ったらしい。失敗した。今確認しなきゃよかった。と後悔するが、もう遅い。
 だんだんと砂がおさまり始めた。顔ははっきりと確認出来なかった。まあ、元から砂が入ったせいで潤んでいる目では、身体全体の輪郭がぼやけていたのだが。
 あ。取れた。と、少年は赤くなった目をこすり暢気にそんなことを考えていた。が、次に起こる事体で暢気さなどふっ飛んでしまった。
 相手は砂煙のせいでこちらに気が付いていないのか、視線があちこちに向いている。その様子を見ながら、少年は自分で気付いたときにはもうすでに遅く「あの?」と声をかけてしまった。
 すると相手は少年の存在───というよりも位置───に、その時気付いたのか。少しだけ身を震わせて驚いたようだ。そして「誰だ」とまるで唸るような低い声で言い、ホルスターにかけてあった銃を素早く引き抜いてこちらに向けた。
 立ち上がる暇もない。
 赤くなった目で見て状況を理解するのに、たっぷり五秒はかかった。

 目の前には、銃口。

 仕事上、銃は良く目にするとは言え、いきなり銃口を向けられるとは。
 無意識のうちに両手を挙げて降服のポーズをとる。
「ま、待ってくれよ、何だよいきなり物騒だな! それにオレの方が、あんたが誰か聞きたいんだけ、ど、ぉー……」
 動揺していたのを隠しながら言ったつもりだったが、声が裏返っている上に舌が回らない。おまけに語尾は小さくなっているときた。
 相手は黙ったまま。口を開こうとしなかったため、先に自分から名乗る。
「リ……リーザス……『リーザス・ハリス』! とある機関に所属! なぁ、これでいいのか?」
 自分から言い出したと言うのに、もはや投げやりである。むしろ喧嘩を売っているような態度。相手が相手なら今頃撃たれていただろう。
 と、ふと表情を変える。
「もしもーし、名乗りましたけど? そっちは誰だよ?」
 先ほどまで怯えていたのが嘘のように、今度は随分と横柄な態度になった。一度機嫌を悪くすると怖いもの無しなのか。目の前に銃口があると言うのに不機嫌そうにそう言った。
 が、出合い頭に銃を突き付けるような人物が答えるわけもなく、少年────リーザスの問いかけは虚しくも壁に反響してから消えていった。
 緊迫した空気が流れた。目の前の相手は全く銃口を外そうとしない。
 何かを確認しようと頭を少し動かしているその間に相手の顔を見た。

 金の髪に青の目。
 ……はて、知ってるような?

「会ったこと、あるか?」
「何がだ」
 相手が初めて口を開いた。確かに、リーザスの言っていることには脈絡が無いし、主語も無い。そう問われても仕方が無かった。
「だーかーらー。あんたと、オレって、会ったことあるか?」
「…………ない」
 ───さっきは名乗りもしなかったくせに、今度は随分律儀に答えてくれるもんだ。
 そう思いながらも、リーザスは今度は目の前にある銃を退けてくれるように交渉してみることにした。
「なぁー。頼むから、これ。どけてくんねぇ?」
 だが今度は何も言わない。周りの様子をうかがっているだけだ。暑さのせいか、今日の依頼主のせいか。溜まっていた不満と怒りを破裂させるには、その行動は充分だったらしい。
 プツン、と何かが切れた音が聞こえた気がした。
「何だよ、うんとかすんとかくらい言えよ」
「黙れ」
「黙れだぁー? これが黙ってられっか!」
「いいから黙れ」
 交渉の余地はないどころか、逆にお互いに筋が通らない会話をするはめになった。
 リーザスのほうは、どうもタチの悪い酔っ払いのような話し方。拳銃を持った方は脅しかけるような声。実際脅しをかけているが。どちらにしても端から見たら『ガラが悪い』ことに変わりはない。ここが街中だったら、今頃やじ馬が集まっているか、あからさまに街人に避けられるかのどちらかだろう。
「黙れ黙れってなんだよ、それしか言えねーの?」
「馬鹿か」
「ばっ、バカってなんだよ! 知ってるかバカって言う奴がバカなんだというわけでお前はバカだ」
 そこまで一気に捲し立て指を指す。随分と低レベルな言い分だ。ところが相手も暑さのせいで苛立っていたのか、いとも簡単に挑発に乗ってきた。
 それでも返した言葉は冷静で「黙れ馬鹿」という、たったの一言だが。
「黙れとバカしか言えない奴に、命令されたくないっつの」
「撃つぞ、テメェ」
「撃てるもんなら撃ってみろー。別に怖くねーもんな」
「この野郎……」
 人を馬鹿にした態度を見て、相手はグリップを握り直して再び構える。その光る銃口が狙っているのは額。本気で撃ちかねないほどの気迫と眼光の鋭さを持ってリーザスの顔を見る。その表情は怖がっているわけでもなく普通だった。そしてふん、と鼻を鳴らして一言。
「だって弾、入ってないだろ?」
 その言葉にハッとする。
 確かに、先ほどの銃撃戦から逃げ出してくる時、威嚇で何発か撃った。その前にもごたごたがあって撃ったし、逃げてくる最中に補充はしてない。
 リーザスの言うとおり、完全に中は空だ。
 ───それでもここで認めてしまえば、形成は逆転して今度は自分の方が不利になる。この近距離じゃ顔は覚えられているだろうし、下手をすれば追ってきている奴らに突き出される可能性もあった。
 ところがふいに「何」と口にしてしまったからにはもう遅い。完全に見破られていたのだ。
「何でそんなことが言える」
「見てれば色々と。これでも<機械技師(エンジニア)>ですから」
 リーザスは眉を片方つり上げ、不愉快かつ自慢をしているような態度を返す。
「もういっぺん言うけど、これ、どけてくんねぇ?」
 銃を指差しながら言うその態度に、腹が立つどころか何故か呆れてしまった。ただの一般人だと思っていたら妙に度肝が座っている。いや、この状勢では銃に怯えている奴の方が珍しいかもしれない。どちらにしろ実弾が入っていないとばれた以上、銃口を向けていても仕方がない。
 銃口を額から外すと「どうも」と暢気な挨拶が聞こえた。さて、こうなると残る手段は───逃げるしかないか。顔を覚えられた以上、この場にこれ以上留まるのは分が悪い。
「ま、撃たないでくれたことに免じて、このことは黙っててやっから」
 そんなある意味で慈悲とも言える言葉を聞き流し、くるりと踵を返して走り去ろうとした。

 が、それは一つの怒声で止められる。

 

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