一つの人影が動いた時、騒動は始まる。
追う者か、追われる者か。さて、最後に笑うのはどちらだろう。
File 1 :[異端な放浪者]- 01
とある街の一角。そこに一定のリズムが響き渡る。コツコツというそれは、ある青年の足音。時々ふと足を止めては辺りを見回し、横道を見つけてはそこを通る。足取りは変わらないものの、何かから逃げているような感じだ。先へと進んでいく度に人は少なくなり、周りは建物で遮られ暗くなっていく。
どのくらいそうして歩いていただろうか。青年は急に動きを止め、後ろを振り向いた。二、三十秒して彼とは別の駆けてくる音が聞こえてきた。音からして複数だ。
自分も走ろうとした時、誰かの「いたぞ」という声が響く。
再び振り向くと、腕章を付けた集団の一人がこちらを指差して立っている。
面倒なヤツに見つかった───すぐに気付き、狭い通りを走り出した。
誰かが声を張り上げる。それに続いて大勢の足音が裏路地に響いた。
青年の後ろに何人かが付いてくる。彼はそれを横目で確認すると再び前を見た。どこか抜けるところはないか。左右を確認しながらも走る速度は落とさない。先ほどよりも後ろの足音は増えてきている。
パァン、と高い音が一つ響いた。よく聞き慣れた音。振り返ると、追ってきている一人が小型の銃を手にしている。
足でも撃ち抜くつもりか? と、追われているにも関わらず彼はそんなことを考えた。パニックになることもなく、冷静に判断する。
ふと、前に抜け道を見つけた。迷うことなく彼はその狭い路地に入る。
追っている方は、大人数のために入れそうもない路地を目にし、少しだけ判断を鈍らせる。だがすぐに二手に分かれて追い始めた。
振り返ると、後ろから追ってくる人数が減っていた。
───何人かは振り切ったのか? いや違う。分かれたな。
そう判断すると、走る速度を上げた。
───さて、残りは……。
と、突然目の前に何かが飛び出してくる。反射で止まろうとしたが、それは残りと思われる人物らだった。思わず舌打ち、咄嗟に足に力を入れる。
そしてそのまま───跳んだ。
「なっ!」
追ってきていたうちの一人、大柄な男の上を飛び越える。その後ろには誰もいなかった。呆然としたまま青年を見ている。
そのまま難なく着地して振り返る。目が合った顔はまだ呆然としたままだ。その顔を見て何となくニヤリと笑ってやった。
するとハッとして動き始める。
───おいおい。追う方が遅いんじゃ、いつまで経っても捕まらないぞ。ま、捕まる気はないがな。
誰に言うわけでもなく、彼は再び走り出した。
……が、世の中そう上手くはいかないらしい。
目の前に壁があり、横にも壁があり、袋小路へと出てしまった。
ついていない。
「もう逃げられないぞ」
と、誰かがお決まりの台詞を吐いた。
袋小路には逃げていた青年と追っていた集団。完全に追いつめられた状態で青年は集団の方を見据える。観念して捕まる気になったのだろうか。
いいや、彼は不適に笑ってみせた。
「何がおかしい!」
怒鳴り声と共に集団の先頭に立っている人物が銃を引き抜く。
そのまま銃口を彼に合わせ、また喋り出した。
「もう逃げ場はない。大人しく捕まるんだな」
これまたお決まりの台詞だ。
青年の方は呆れたとでも言いたげにふぅー、とため息をつく。何度同じ台詞を聞いたことか。それに。
「あんなジジィのお守してて楽しいか」
いきなり暴言を吐いた。
すると銃を持っていた先頭の男がピクリと動く。
「黙れ」
「そう言われて黙ると思うか?」
まあ、当然と言えば当然の答えかもしれない。こんな緊迫した雰囲気でなければ。
ピクリと再び眉根を寄せた先頭の男の顔を見て、さらに煽る。
「楽しくねえよな。ジジィの道楽で集めたもん守るために、あんな警備させられてんだろ?」
「黙れ!」
怒声と共に銃声も響く。袋小路なので一帯に音が篭り、壁に反射して幾分か鈍い音になって聞こえる。青年が足下を見ると何歩か手前で土が抉れていた。とりあえず今のところは威嚇射撃だ。
「黙れだあ? 図星だから焦ってんのか」
「減らず口だな。撃たれたいのか?」
「撃ってみろよ。一緒に砕けて良いんならな」
そう言って彼は左手に持っていたモノを見せる。
それは鮮やかな赤色をしていた。太陽の光を反射し、より一層赤く輝いては存在を示す。
拳銃を向けている男は一瞬だけ細めていた目を見開く。が、すぐに戻し「なに、当てはしない。お前の頭を撃ち抜くだけだ」と言う。本当に撃ちはしない。脅しだ。
ガチリと激鉄の引き起こされる音がした。自信ありげな態度は、追う方ならではの余裕から来ているのだろうか。
「そうか。ま、俺も砕くつもりはねえな」
「なら、こっちに戻してもらおうか。ついでにお前も軍に突き出す」
「軍に? 出来んのか」
───なんだ、この異様なまでの余裕は。
拳銃を向けている男はそう思った。その時に、青年の右手に光るものがあることに気付く。
「銃を置け」
彼はいつの間にか片手に握っていた銃を、そのまま地面に置いた。
───そのまま撃つことも出来ただろうが、そうしたところで他の仲間に撃たれる。それを分かっているのか。減らず口の割にやけに素直だ。まだ何かあるのか?
「それを返してもらおうか」
銃を向けながら、片手を差し出して言うと、青年の方は「はっ」と鼻で笑う。追いつめられている割には余裕そうな表情は、見ていて腹が立ってくる。
「簡単に返すと思うか?」
と、軽口を叩いた。
先ほどあんな警備と言われたが、それが仕事なのだから仕方ない。
銃を向けている人物は、正直に言って青年と同意見だ───この街の富豪に雇われて……第一その人柄も気に入らない。その嫌みっぷりときたら。街の住民を権力で蹴落としたり、やりたい放題で半分王政国家のようなものだ。見ていて腹が立つくらいで、たまに何故こんな奴の下で働いているんだろうと思う時がある。あんな奴を殺してくれる人間がいるなら、その人物に一生感謝したいくらいだ───……まあ、色々あって今は屋敷の警備に付いているものの、守るものと言えば趣味で集めたもの。価値など分からない自分にはガラクタにしか思えない品ばかりだ。
ただ、一つだけ例外があった。
それが銃を突き付けている相手の持っている“石”だ。
本当なのか、嘘なのか。その判断はつかないが歴史的に価値のあるものらしい。だが、その話の発生源はおとぎ話のような噂。見た目からして、石がそれ相応の価値があるだろうということは認めるが、そのおとぎ話に出てくる石だと言われてもいまいち信じられない。
今回はその石を目の前の相手に盗まれて追ってきているわけだが、誰かに通報されて追いかけていると言うわけではない。一応、自分達は即席の警備隊で、この街の富豪の警備をしていた。詳しい説明も受けないまま。いいや、受けさせてもらえない、聞かせてもらえないと言う方が正しいか。一体何を警備すればいいのか理解しないまま、目の前の男はその富豪の家へ忍び込んで、石を盗み出して、逃げ出した。あらかじめ「侵入者が居たら追いかけろ」という指令は受けていたので、こうして追いかけてきた。それだけだ。
銃を向けながら考えた。その間、男も動かない。
───置いてある銃以外、他に武器は持っていないはずだが……。
目の前の人物は見比べるような様子でこちらと持っている石を見ている。
それを目で確認していると、突然思い付いたように彼は言い出した。
「返してやろうか?」
「え」
───「いきなり何だ」 と問う前に、光る物体が空中を飛んでいた。
それが問題の石だと理解するのに時間はかからなかった。奴は持っていた石を投げたのだ。思わずそれを目で追う。一緒にいる仲間も気が付いたらしく、誰かが受け止めようと前に出て、隊形が乱された。
それが相手の作戦だと気が付いたのは偶然、相手が笑みを浮かべていたのを見てからだった。
「ばっ……! 構え!」
バカ、と怒鳴りかけたのを、前に出た二人の仲間は何事かとこちらを見て戸惑う。だが「銃を構えろ」という意味で言った言葉を理解したらしく、ベルトにあった銃に手を伸ばした。
が、それは三発の銃声に止められる。
さっきまで石を持っていた奴が、いつの間にか銃を拾っている。
前にいた仲間が驚いて飛び退く。足元の手前で地面が抉れていた。
───しまった!
応戦しようとしたが、この位置だと前にいる仲間に当たる。
「どけ!」
そう怒鳴るが、いまいち状況が掴めていないのか仲間は退かない。仕方ないと前へ出て距離を縮めた。
けれど向こうも行動を移していた。
何故かこちらに近づいてくる。絶好のチャンスだ。そう思い銃を構えるが、予想以上に動きが早い。足を狙い、一発、二発、三発と立て続けに撃つが当たらない。
なら、前を狙って足留め───四発目。奴は止まる。今だ───再び足元を狙う。五発目───だがそれは当たらなかった。
相手はその場にいない。どこだ。
首が痛くなる程の早さで辺りを見回してみると、既に近くの壁に向かっている。
なんて瞬発力と判断力だ。
狙って撃っているのは俺だけじゃない。何人かの仲間も撃っている。
そんな多くの銃弾が飛び交う中で、傷を追うことなく全て避けているなんて。移動の早さも尋常じゃない。
奴はレンガ造りの建物に辿り着くと、その壁を思いきり蹴る。身体が斜め上に向かい、宙に浮く。蹴った反動を利用したとは言え、普通ではありえない跳躍力だった───たった一飛びで、軽く十メートルはある壁の上に立っていたのだから。
「なっ……」
あまりの光景に呆然としているうちに、軽業師のように壁の真上にストンと足を降ろす。コンクリートで出来た壁は意外にも厚さがあるのか、平然と立っていた。
その時、気のせいだろうか。こちらを見下ろす目は髪と同じ金に光っていた気がした。それに何処か恐ろしいものを感じ、気が付くと銃身が奴の方を向いていた。
引き金に指がかかる。
そして上に立っている奴に向けて撃った───はずだった。
ガチンと音はするが反動と手応えがない───弾切れだ。
そう言えば一度、威嚇で撃ったことを忘れていた。
「じゃあな」
ご丁寧に挨拶までしてくれるとは。
内心で毒づきながら壁の向こうへ消えた姿を睨み付けた。そして叫ぶ。
「このっ……! 第二区画へ回れ! 追うぞ!」
「え、でも隊長、石は戻ったし」
そう言って仲間の一人が、手中にある石を見せた。
「バカ、問題は石じゃない。奴自身だ」
「え、どういうことっすか?」
「お前は何も知らないのか」
副隊長は本当に不思議そうに聞いてくる。その無知さに呆れた。
「新手の犯罪者なんだよ! 窃盗及び侵入罪、そこに張ってあるだろ!」
何枚かのポスターが張ってある壁を指差す。すかさず、その近くにいた一人が覗き込んで確認する。
「あ、本当ですねぇー」
「お前も知らなかったのか!」
「えっと、容姿はぁー」
さり気なく流された。
俺以外はたまたま知らなかっただけか。それとも皆、無知なのか。
妙に不安になった。
「とにかく隣だ。奴は第二区画に向かった。行くぞ!」
「アイアイサー!」
ポスターを見ていた奴が言う。ふざけた返事だったが気にしないことにした。この袋小路を出ようと足を進めたところでまた声がかかる。
「でも隊長」
「なんだっ」
「自分、奴の顔よく見てないんですけど。どんな顔っすか」
「あ、わたしも〜。どんな顔かさっぱり〜」
手を挙げて同意するのとぼけた顔を見て、石を持ったままの仲間の平然とした顔を見て───……一応、この二人は副隊長だ───思わず怒鳴った。
「このっ……大ボケコンビがぁー! 奴の顔一番よく見てるのはお前らだろうがっ! さっき前に出てただろ!」
前に出ていたおかげで逃がしたようなもんだ。
そこまでは言わなかったものの、内心はこのまま毒づきたい勢いだ。
「ああ! もういい、追うぞ! 大分時間食った……」
走って第二区画へ向かいながら弾を詰める。その後ろを他の仲間が付いてきた。そしてさきほどのとぼけた女が横へ出てきて一言。
「隊長、あんまり怒ると身体に悪いですよぉー」
一応気づかってくれているのだろうかと思ったが、状況が状況だけに皮肉にしか聞こえなかった。その言葉に「余計なお世話だ! とにかく、今は追うことに専念しろ!」と叫ぶ。
逃げた奴は、まだ見えない。
タタタ、と、軽快とも言える音が響く。
青年は地上より数メートルほどあるコンクリートの壁の上を走っていた。
少しでも踏み外したら下へ真っ逆さま。地面に叩き付けられると言うのに恐怖も何も無いのか、平然とした顔で走っていた。
こんなところを通る人間など滅多にいない。街中を行くよりも目立ちにくく逃げやすかったが、逆に注視されていれば、見つかる可能性も高かった。
───ある程度引き離したら、どこかへ降りるか。
そう考えている彼の顔は涼しい。先ほどの自信ありげな笑いと饒舌が嘘のようだ。もっとも、あれは逃げ出すタイミングを作る為にやっていた事なのだが。顔を覚えられていなければ大丈夫だろう。
さほど深く考えず、彼は再び前を見た。
「っと」
足に少し力を入れ、動きを止める。
ザザッと風に煽られてコンクリートの上に上げられた砂が靴底で音を立てた。コンクリートの壁は途中で途切れている。下を見ると鉄格子製の扉があった。
───そうか。確かこの街は何区画かに分かれていた。となると、これは区画を仕切る為の扉か───他に分かれるような壁は無い。壁の上を通り続けると言うならここを通るしかなかった。
頭の中で整理して、鉄格子の扉を挟んだ数メートル先の壁を見た。
───これくらいなら行けるか?
跳べない距離ではない。むしろ余裕があるくらいだ。だがさっきから砂嵐の影響か、砂を含んだ風が吹いている。バランス感覚が良いので、走り、立っていられたが、この十数センチの足場は跳ぶのには適していない。こちらからの踏み切りは良いとして、あちらでの着地には不安定だ。
───落ちたとしても、それはその時か。
彼はあっさりと割り切った。割り切るにしては余裕があるかもしれない。なんとなく「失敗したらやり直せばいいか」というようなノリだった。
左足を少し引いて力を入れる。その力が伝わって足元へ。そのまま前方へ向けて跳躍。動いているのはほぼ足だけだ。
タン、と音を立てて目的の場所へ降りる。随分あっさりと着地出来た。心配は必要なかったようだ。
そして再び進もうとして立ち止まった。進もうとした先は半端に崩れていたのだ。風化したか、地震で崩れたのか。どちらにしても進めないことに変わりはない。
跳んだ意味が無かったじゃないか。と少しだけ落胆した。
その時、微かに足音が聞こえてきた。音に耳を傾け、足音がする方向を探っている間にも音はどんどん近づいてくる。
───いた。
さっきまで対峙してた相手が何人かやってくる。
───もう追ってきたか。五分も経たないうちに追い付かれたな。ゆっくりしている暇はなさそうだし、ここは通れないしな……。降りるか。
一瞬の判断で彼は足を隣区画の方へと向ける。あまり厚みの無いコンクリートの壁は、もろくなった部分が欠けて下へ落ちた。そして自身も、重力に従って落ちていく。
冷静に見えて、実は以外と焦っていたのかもしれない。
飛び下りてから下に人影があることに気が付いた。
「う、うわっ!?」
下から聞こえた声からするに、こちらには気がついたようだ。
足を上手く使って奇麗に着地する。怪我はないが、下が砂塵に覆われた地面だったために、大量の砂煙が舞った。
───最悪だ。目が利かなきゃ鼻も利かない。さっきここにいた奴は誰だ? 追ってきてる奴らじゃないことを祈るが。
辺りを見回してみた。気配を探ろうにも、こんな中じゃ落ち着いて集中できない。
その時、背後で「あの?」と声が聞こえてきた。さっきの奴か。警備の奴らなら、こんな間抜けに声をかけないはずだ。
「誰だ」
正体不明のそいつに向かって咄嗟に銃を引き抜いて突き付ける。
煙が晴れかかった時に見えたのは、目を見開いた黒髪の奴だった。