File 0 :[不変か改変か]-04
【不変を望む技術者・後編】
「今日、今日が命日になるかもしれん。後は頼んだぞぉー……」
「あっそ」
荷物の準備をしながら全てを託した気分のオレに対して、冷めた返事が返ってくる。
「ひでぇ……! もう少しさ、『生きて返ってくるんだぞ』とか気の聞いた言葉は?」
「だって毎回同じこと言ってるんだもん。慰める気も失せるっていうか、もう無い」
「その前に、死ぬ気かお前は」
仲間の二人が間を置かずにツッコミを入れてくる。しかも一人はこっちを見向きすらしない。
……もう、もう泣くよ? オレ。
「死にたくないけど嫌でも死にそうになってるんだぞ、毎回」
「そんな大げさな」
「ほー。それじゃあオレの代わりに行ってくるか? えぇ? おお?」
「それは」
「ほーら、行く気ないだろ」
へっへーん、と言いながら仰け反ってみせるが、もう一人が冷ややかな声で言った。
「機器関係はお前の仕事だ。専門外の俺達が行ってどうする」
「そんな現実的に突っ込まれても。そうじゃなくてだなぁ」
「あ。リランさん、来たみたいだよ」
その一言に思わず身を震わせた。
隠れよう。そう思った瞬間に立ち上がろうとしたら襟首を掴まれて「ぐぇっ」という間抜けな声が出た。
「げほっ。おまっ、お前は、仲間だと思ってたのに!」
「そうか」
あっさり返された。何だ、この扱い。
その直後に勢いよく扉が開かれて、何十分か前に機械越しに聞いた声がオレの耳に届く。
「やっほー。迎えに来たわよー」
「あ、リランさん。バカならそこです」
「バカって言うな、バカって!」
「きゃー! ひっさしぶりー」
と、その声の主───リランという長身の女は、オレに近づいてくると
「よーしよし、良い子にしてたー?」
と言いながら、人の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「やめてください」
「えー、いいじゃない、せっかく感動の再会を果たした気分なのにー」
「や・め・ろ」
「こらこら。その言葉遣いはないでしょ? めっ」
「めっ、って」
段々、突っ込む気力も削がれてきた。
「どうしてこんな聞き分けの悪い子になっちゃったかなー。クロ」
───クロ。
削がれたはずの突っ込む気力が急に戻ってきた。
「誰がクロじゃー!」
「ま、そこもかわいいんだけどねぇ」
「聞いてねぇし……!」
わしゃわしゃと未だに頭を撫でられている。
ええと、説明すると、リランさんは病的なくらいのペット愛好家。家には結構な数の犬やら猫やら鳥やらがいるらしい。何年か前に死んでしまったらしいが、そんな彼女が最初に飼い始めた犬がいた。その名前がクロ。真っ黒いからクロ。実に安直な名前だ。
何と言うか。その、あれだ。彼女から言わせればオレがその───クロに似ているらしい。
どこに共通点が……確かに目とか髪は黒いけどさ……。
しかもその大切にされてた犬と同等の立場にされてるオレは、大切に扱われてるのかどうか微妙な線だ。そんでもって犬と同等の立場にされて屈辱的なのか、その犬が大切に扱われてたって点のみを取り上げれば同等の立場にされて喜ぶべきなのか……ああ、訳が分からなくなってきた。
「うんうん。しばらく見なかったけど元気そうでよかった」
と、この台詞は傍目から聞いたら別に普通だろう。語尾に「クロ」とつかなければ。
「人に犬の面影重ねてどうすんですかー……。おーい」
そんな突っ込みもスルーされた。しかも視界の端に笑いを堪えている二人の姿が見えたもんだから、自分のフォローも出来ない。
「笑うなよ」
そう言っても少女の方が堪えきれずに「あはははは」と笑い出す。その姿を見て顔が赤くなっていくのが分かった。笑われてる。思いっきり笑われてるよ。犬扱いされてることを……。
「っく……! お前も涼しい顔しながら笑ってるだろ!?」
もう一方の端に見える短髪の少年。常に涼しい顔、むしろ無表情なのだが───
「いや。笑って、な、なんか」
「笑ってるだろ。声震えてるぞ」
そう言っても何を笑わないように我慢しているのか、口を閉じて眼を反らした。よく見たら声だけじゃなくて身体まで小刻みに震えている。そこまで我慢されるくらいだったら思いっきり笑われたほうがマシだ。
ああ、笑わないのは自分のイメージ保つ為か? 常に涼しい顔ですもんねぇー。
嫌味を口に出さずに思い浮かべていると、リランさんが喋り出した。
「うふふふふふ。それじゃあ、そろそろいきましょーか、クロ」
「笑い方怖えです。目ぇ据わってますよ。あとオレはクロじゃねーですよ。人と犬の違い理解してます? 生物学的に明らかに違うと思うんですけど。いい加減それやめていただいてもらえたりなんか出来ませんかねー、はははは」
なんだか気力も無くなってきて、棒読みで言うことしか出来なかった。それ以前にクロと呼ばれることに段々と慣れてきてしまっている自分が恐ろしい。
襟首を掴まれて外に連れ出されそうになる。
「クロのことは私が責任もって送り届けるからね!」
明るげな台詞を聞いて、助けてくれと言う視線を同僚二人に向けてみる。が。
「お願いします。じゃ、いってらっしゃーい、クロ」
「しっかり仕事してこいよ、クロ」
「こっ、この……どえっ」
反論しようとしたが、その前に車の助手席に押しこまれる。少し間をおいて聞こえてきたのは反対側のドアがしまる音。
ここまできたら観念するしかない。シートベルトをしっかりと締め、ついでに両手を組んで祈っておいた。
「あー、神様の名前知らんけど、誰でもいいです。神様どうか、どうか命だけは」
「リーちゃん、何か信仰してたっけ?」
「いいえ。でもこの時ばかりは……いやいやいやいや、と、とりあえず安全運転、安全運転お願いします」
「なーに言ってんの。安心しなさいって。常に安全運転なんだから」
───ウソつけ。
内心ではすぐにツッコミたかったが、思わず黙り込んだ。何で黙り込むかって───それはすぐ分かる。
「それじゃー、行くわよー」
「マジすかっ」
彼女が言った瞬間に掴むところを探したがないので、とりあえず座席を掴んだ。
そして彼女がキーを差し込んで、現れたホログラムウィンドウに個人識別のための特定認証コード(これがなければエンジンを起動できない)を打ち込み、ハンドルを握った途端。
「……ふふふふふ……」
───あーあ。奴が来たぞ。
「……やっと出番か。待たせやがって」
ハンドルを握る彼女は、さっきとは口調が変わっている。心無しか目つきや雰囲気まで。素振りに至っては全く。
「ああ、お前か? 今回、アタシの車に乗りたいってのは」
「あ、はい、はいはい」
いや、正直なところ乗りたくないです。
「それじゃ、分かってるな?」
「というと」
「毎度の事だろ」
さも当たり前といった感じに言い放つ。けれど毎回確認せずにはいられない。
何故かと言うと、彼女(らしい)の行動は毎回同じ。だが、その行動はオレの理解の範疇を超えているというか───認識しづらいからだ。
にっ、と笑うと、彼女は前を向いて高らかに言う。
「風になる気分を、充分味わいなっ!」
まともに聞いていたら吹き出してしまうような台詞だ。が、今はそれどころではない。
片手でハンドルを握りしめたまま、ギアが急速に上げられ、アクセルが最大限まで踏み込まれる。
地面とタイヤが高速で擦れる何とも言い表しづらい高い音が響き、圧力によって座席に押さえ込まれる。
そのまま車は驚異的な速さで発進した。
疾走する車を見送った二人は、同時に哀れむように「あー……」と声をあげた。
荒野を砂煙をあげながら疾走する車。
その中から聞こえてくるのは、叫び声と笑い声だった。
「ぎゃあああああああ!」
「あははははははははは!」
真っ直ぐ進むのかと思えば急にハンドルが切られて曲がり、またその辺に転がってる石に乗り上がって車体が跳ねる。ぐらぐらと揺れ、ものすごい衝撃を受け、また疾走し。
毎度のことだが、慣れない。
「とっ……とま、とまっ……」
「なに言ってるんだ。このくらいで音をあげてるようじゃ、風になれねえよ」
妙に冷静に、しかしニヤリと笑みを浮かべながら運転している彼女───性格は全く女らしくないけどな!───は堂々と言った。
さらりとそんな台詞を言ってみせた彼女に、叫ばずにはいられない。
「風になる前に……っ、事故って昇天して星になりそうな勢いじゃボケェー!」
年上だからと言葉使いには気をつけていたつもりだったが、毎度この場面ではそんな気は使っていられない。必死の思いで叫ぶと、まだまだ余裕だと思われたのか。さらに速さが増す。
「おらおらおら! どけやぁー!」
「獣の群れに突っ込むなぁぁ!? だあー! ひっついてる、ひっついてるー!」
この暴走車が避けられずにくっついてきてしまったのか、腹を見せてフロントにぴったりと獣がくっついている。
「ったく、振り落とせばいいんだろ!」
ハンドルが切られ、車体が傾ぎながら一度止まる。それでも獣は離れずにフロントにくっついたままだ。
「あー、まだくっついてるな」
そりゃあ下手すりゃ轢き殺されるんだし、獣だって必死になるよなぁ……。
何故か同情しつつ、ふと思う。
それにしたって獣だって凄い形相だ。狩りの獲物でも見つけたように目をギラギラ光らせて───あ?
はい、ちょっと振り返ってみよう。数秒前に、この運転手は何をした?
「なあ。ついさっき自分がした行動、分かってる?」
「獣の群れに突っ込んでいった」
「群れに突っ込むなんて、獣を刺激するような行動したらどうなる?」
「ああ。反撃されるな」
───あっさり言いやがった。
意味をよく理解していない諸君のために、簡単に説明しようではないか。
つまりだ。このフロントにくっついてる獣は、群れに攻撃したオレ達を完全に敵だと思い、殺ろうとしてる。と。
車に乗ってるんだから大丈夫だろう。という意見もあるだろうが、獣にとって車の装甲くらい、三分たらずで壊せる脆い代物だ。
さーっと頭の血が下がっていくのが分かった。けれど次の瞬間には頭に血が戻り、目一杯叫んでいた。
「こ、このぉぉぉ! 後先考えろよ、オレより年上のくせしてぇぇ!」
「歳は関係ないな」
「うわお。『責任もって送り届ける』とか言っといて無責任だ!」
「ははは、責任なんて二の次だ! なにせ今のアタシは風だからな!」
気のせいか、背後でキラーンという音が聞こえた気がした。
……あー。あれだ。うん。あれで決定。あれだあれ。そう、『バカ』。
子供ならまだしも、いい歳こいた大人が「風だからな!」なんて脳内だけパラレルワールドに飛んだというか、ちょっと痛いドリーマー的な発言はどうなんですか。
下手すりゃ近くの精神病棟に直行ですよ、あんた。
「はああぁぁぁ〜……」
オレは気どころか魂まで抜けるような声を出してから、あるものを取り出した。
「なんだそれ?」
「『火薬弾』」
袋から赤い玉を一つ取り出してフロント前の獣へと投げ、ウィンドウを閉める。その数秒後に小爆発が起こったかと思うと大量の煙を吐き出した。
「おお!? すごいけど何も見えないな!」
「とりあえず黙ってれば獣も離れるだろ。あーあ。車乗ってるってのに、まさか使う羽目になるとは……」
「そう気を落とすなよ」
運転手はそう言いつつ、オレの肩にぽんと手を置く。
「気を落としてんじゃなくて、あんたのせいでキレてんだよオレは」
「え。何か悪いことした?」
「……あんた、それ、シラフで言ってんすか……?」
余裕のある笑みを消し、きょとんとした顔で聞いてくる彼女に呆れて、それ以上言葉が出なかった。
その時、バン! という音と共に車体が揺れた。何事かと思って確認するが今は『火薬弾』のせいで外の景色は真っ赤だ。
「何だ?」
「さあ? さっきの獣は逃げたみたいだし、もう進んでもいうえぇぇぇ!?」
ふと横を見ると、オレの横───ウィンドウの所に何匹もさっきの獣がくっついているのが見えた。
「げっ! おい、寄ってきて」
「いいいいいから、いいから早く車出せー!!」
叫ぶと、はっとしたように彼女がギアを動かし、アクセルを踏む。車体が後ろに進み、反動で数匹が振り落とされた───同じくオレもフロントに頭をぶつけた───隙に今度は前に向かって急発進した。
しばらく、暴走車と獣の追いかけっこは続いた。
「はーい、到着ー!」
一台の車が巨大都市───とは言っても、一つの街なのだが───の前に止まった。明るげな声が響き、その中から声の主と思われる女性が意気揚揚と現れて伸びをした。同時に彼女が伸びをしているその反対側───助手席側のドアが力なく開き、ずるりと滑り落ちるような格好で少年が現れ……いいや、実際、ずるりと助手席から滑り落ちた。
情けなくも、べしゃあ、という音を立てて砂地の上に崩れ落ちる。
「…………はぁぁぁぁぁ〜……」
「こらこら、リーちゃん、私より若いのに老け込んだような溜め息ついて」
「九死に一生の思いしたのに、かける言葉はそれですか」
女性の方に顔を向けないようにしながら、少年はぼそぼそと呟いた。
どこからともなくスパナを取り出して「あとで絶対改造してやる……絶対スピード出せないようにしてやる……!」と怒りを露にしながら、呪いのようにぶつぶつと呟いているのにも関わらず、女性は気がついていない。
やがて気が済んだのか定かではないが、少年は「よっこらせ」と立ち上がる。女性に「年寄り臭いわよ」と言われたが、もう無視することにした。
「どうもご丁寧にここまでわざわざ運んで下さってありがとうございました。ついでに敬礼っ」
わざとらしい喋り口で少年が礼を言うと(本人は皮肉をたっぷり込めたつもりだ)気にした様子も無く女性は「どういたしまして〜」と明るげに言ってみせた。
「帰りはどうするの?」
「帰りはここに住んでる知り合いに頼むんで、大丈夫です」
「そうなの?」
「そうなんです。何でそんな顔するんですか」
少年の返答に女性はものすごく残念そうな表情をしている。何かまずいことでも言ったかと少年は考えたが、その考えは次の言葉で一気に取り払われた。
「せっかく、せぇぇっかく、久しぶりにクロと感動の再会を果たしたんだから、あっちこっち連れ回して遊びに行けると思ったのにー。仕事ばっかりじゃ息詰まるでしょっ」
───またあの暴走車に乗れと。それにオレはクロじゃない……。
「まあ仕方ないわね。私も仕事があるし」
女性はため息をつくと諦めたように車に乗り込んだ。
認証コードを打ちこみ、ウィンドウを開け、少年に向かって言う。
「じゃあね、クロ」
「クロじゃないですって」
「頑張るのよ、クロ」
「クロじゃないですって」
「次に会う時も元気なことを祈ってるわ、クロ」
「クロじゃないですって。オール無視ですか」
少年の訴えを聞いているのかいないのか。女性は最後ににっこりと微笑みかけるとハンドルを握った。
その途端。
「ははははははは!」
豪快な笑いをし、ハンドルを握る手に力を込めた。
「あーあ。また始まった……」
呆れたように顔を右手で被うと、そんな少年に向かって彼女が声をかける。
「そんなに残念がるなよ! 今度また乗せてやる!」
「残念がってないですできれば乗りたくないです丁重にお断り申し上げます」
申し出に対し、少年は迷わず一息で即答した。
だが少年の訴えを冗句とでもとったのか、笑い返し「じゃあな!」と片手を挙げて言うとギアを最高まで上げ、アクセルを踏み込んだ。
タイヤが砂を掻き分け、車は急速に遠ざかって行く。
───あの人、ただのスピード狂なのか、それとも二重人格なのか……いや、二重人格でスピード狂。絶対間違いない。
ふと、少年の頭の中を随分と失礼な考えがよぎったが、そう考えてしまうのは仕方がないのかもしれない。あの性格の変わりようを見れば、きっと大抵の人が考えてしまうだろう。数秒のうちに見えなくなってしまった車のタイヤ痕を見つめ、すっかり馴染みとなった依頼主の元へ少年は歩を進めた。