File 0 :[不変か改変か]-03
【改変に挑む放浪者・前編】
放浪者が多くうろつく街。無法者・放浪者が集まる街。
『異端』とされる者達は街人には蔑まれ、目の敵にされる。そんな彼らの集まる街も、法が統一されない現状では存在している。そこでは毎日のように暴力が飛び交う。決して安全とは言えないからこそ、常人は手を出そうなどと考えない。それ故に放浪者達はこの街では優々と過ごせるのだった。
ここにいるのは、ただの放浪者だけではなく、半数以上が放浪者出身のハンターだ。彼らハンターは、こんな薄汚れたような環境に関係のない一般人には、よく『異端な放浪者』と呼ばれている。最も、それは差別語なのだが。
そしてハンターと一口に言っても結構な数がいる。例えば<ビーストハンター>。その名の通り、荒野での脅威とされる獣を狩っている者だ。定期的に獣を退治し収入を得る場合もあるが、何よりも彼らが貴重としているのは獣の『毛皮』などだ。何かと利用価値があるらしく、毎晩高値で取り引きが行われる。
このように、ただの放浪者から独自に職を得て生きている彼らも、表沙汰に出来ない仕事を請け負うことが多く、大抵の取り引き相手はこうして放浪者の集まる街にいる『闇屋』と呼ばれる相手だ。だからこそハンターと呼ばれる彼らも、この街に多く滞在している。こんな場には何故だろうか。酒場なども出来やすい。そこで喧嘩沙汰が起きることなどしょっちゅうだ。酔っ払い同士のくだらない口論から発展したり、酔っ払いの勘違いで起こるなど様々だが、情熱的に話す相手に対し、やけに冷めた相手が話相手になる、というのもその一つだろう。
今まさに、そんな喧嘩が起ころうとしていた。
結構な人数が集まっている酒場。笑い声や罵り合う声、はてまた愚痴が飛び交っている。何人かの仲間同士で集まっている者が多いが、たった一人でカウンターに座っている者もいる。その中の一人。金髪碧眼の青年は最初は疲れていたのか、注文も取らずにボーッとしていた。やがて苛ついたようにチッと舌打ちをすると、店員に向かってグラスを頼んでいた。
かったるい、と言いたげに溜め息をついて酒を呷る。苛立っているのは傍目から見ても明らかだったので誰も近づきはしない。しかしよく見れば眉目秀麗と言ったところか。これで苛立ってさえいなければ女が寄ってくるだろうに。と、傍から彼を見た店主は思ったとか。
そんな時、苛立っている彼に勇猛果敢にも───無謀とも言えるが───結構な美女が声をかけてきた。が、彼はあっさりとあしらう。
そのあしらい方にしても、もっと言い方があると思うのだが。
「うぜぇ」
この一言だ。
女はもちろん機嫌を悪くした。「私が誘えば男は絶対断らない」という随分な自信を持って声をかけた為に、同時にプライドも傷つけられたらしく「何よ、感じ悪いわね。アンタなんか死ね!」と叫ぶ。あしらった方は女の言葉に怒るどころか逆に余裕さえ見せて、はっ。と鼻で笑ってやった。
(……あーあ。あれは目がまるで「てめぇが死ね」って言ってるな)
傍目からその様子を見ていた熟練のハンターがそう思った。
女は青年のあまりの行動に怒りで顔を赤くし、カウンターに思いきり握り拳を叩きつけて去って行く。そんな姿を横目で追いながら
「バレバレなんだよ」
と、青年は女の背後に向かって小さく投げかけた。その後すぐに興味がつきたように座り直して、また酒を呷る。
「……ありゃマズイな」
「あ?」
バーテン服を着た店主が、女が完全に姿を見せなくなったのを確認してから青年に声をかけた。
「あー。おまえさん新顔だもんな。知らなくても無理ないか」
「何だ、さっきから」
眉を寄せて不機嫌そうに青年が尋ねれば、店主はカウンターから身を乗り出して顔を近づけ、こそこそと話し始める。
「今の女、『アイフィー・シュカキン』つってな。この辺じゃ有名な『ダンフェルグ・ファミリー』のボスの女だよ」
「ダンフェルグ? ああ、あいつらか」
「あいつらか、って、おまえ知ってたのか!?」
店主が俊敏な動きで身を起こし、一歩後ろへよろめく。素っ頓狂な声を出すが、青年の方は動じずに平然と言ってのけた。
「一応『同業者』だからな」
「あーあーあーあー! そりゃますますマジィぞ。ごまかしとくから早く逃げな」
ほれ、行け、行け。と、まるで猫でも追い払うように手を動かす。しかし青年はびくとも動かない。
「店が潰されるからか?」
「あ、やぁ、それもあるが、下手すりゃ、つうか同業者って知れたら確実にぶちのめされるぞ。むしろ殺られるぞ」
狼狽えながらシュシュ、と、ジェスチャーでボクシングの動きをしてみせる店主。もはや説明することに必死すぎて、動きに意味など無いらしい。次は何故か素振りをしていた。
「ハッ。誰が死ぬか」
「や、シャレでもそんなに自信持って言い切ることじゃねぇだろうがよ。店で死人は出したくねぇぞ……」
がくー。と、説明する意欲を失った店主は、項垂れてカウンターに手をついた。
「大体、俺が同業者だって知らなかったら声かけて来やしねえよ」
確信したような物言いに、おや、と店主は首を捻った。
ふー。と右肘をつきながらグラスを呷る。その姿を見て、まさか酔っぱらってるんじゃあ……と店主は不安になった。けれど青年は平然とした顔をしているし、酒自体も度数はそんなに高くない。酔っているわけではなさそうだった。……まあ、青年が顔に出ない体質ではなく、ついでに酒に弱くなければ、の話だが。と、誰かが店の扉を壊れそうなほど激しい音を立てて開ける。
音のした方を見れば、統一性のない人間が何人かと、その奥からやってくる一人の中年の男。その横にはさっき青年があしらった女、アイフィーが連れ添っていた。『ダンフェルグ・ファミリー』の面子だ。
「あちゃちゃー、早えぇぇ。もう来た。噂をすればなんとやらってやつだな……こりゃマジィぞー」
店主がうんざりしたように右手で顔を覆い隠すが、青年は先ほどと同じく全く動じない。
「あいつですか?」
「そうよ。早いとこ、やっちゃって」
追い払うような仕草をしながら、アイフィーは部下達に命令する。その後はボスである男に媚びを売るように引っ付いて、青年が今後どんな目にあうか見ているだけだ。ボスの女と言うだけで、ボスの部下たちを手足で使う事が出来るというのは恐ろしい。横から人の権力を引っ張ってきて、いとも簡単に利用してるのだから。
『ダンフェルグ・ファミリー』の部下達。彼らがあと一メートルという辺りまで近づいてきた時に青年はそちらを向いた。相手はガタイがいい者や強面の者が多いが、青年は物怖じする気配すらない。逆に当事者ではない店主が「ひ、ひ、ひ」と情けない声を上げている。
「お前かぁ? 姐さんのこと散々言ったって奴ぁ」
いかにもチンピラといった男の言葉に、青年は鼻で笑ってから事実をさらりと言ってのけた。
「散々? 俺は一言『うぜぇ』つったんだよ」
「ああ? 手前ぇ、わかってんだろうな!」
胸ぐらを掴まれ立たされる。それでも青年は相変わらず平然とした顔だ。
「覚悟、出来てるんだろうな?」
一人がボキボキと指を鳴らし、威圧をかけてくる。その姿を見ずに青年は目を閉じた。
「そりゃあ、こっちの台詞だ」
「……野郎っ!」
完全に彼らのことを舐めた台詞に胸ぐらを掴んでいた男が怒り、開いている手で青年の顔を殴りつけようとした。しかし、その手は青年に届くことは無い。寸前で止められた。
それは誰かが割って入った……わけではなく、青年自身が片手で拳を止めてみせたのだ。
「このっ」
くぐもった声を出し、男は拳を進める。だがびくとも動かない。逆に青年はその拳を力を込めて握りしめ始めた。見かけによらず力があることに驚いた男が拳を引こうとするが、拳が外れない。
───急に、視界が傾いた。
足元をはらわれたと認識すると同時に男はバランスを崩し、そのままぐるんとひっくり返って地面に叩き付けられた。
「なっ……」
「だから言ったよなあ? こっちの台詞だって」
男の拳を止めていた手をバキバキと鳴らし、目を閉じた青年は言う。まるでハンデだと言わんばかりに目を閉じているにも関わらず、睨めつけられている気がした。
その時、男はやっと理解した。
───ああ、こいつは敵に回しちゃダメだ……。
引けと警告する間もなく、仲間の一人が青年へと近づく。「おりゃぁ!」
やはり有数の『ダンフェルグ・ファミリー』の部下といったところか。それなりにキレのある攻撃はしてくる───そんな事を考えながら向かってくる拳をかわし、隙の出来たところで腹に拳を入れる。相手はうぇ、と吐き気を堪えると同時に後ろへ吹っ飛んだ。
グラスの割れる音がする。横では店主の「ひぃぃぃ! 外でやってくれよぅ!」と言う声が聞こえ、反対側では賭けをする声が聞こえていた。その間にも何人かを倒す。勢いは止まらなかった。
次に向かってきたのは随分とガタイのいい男だった。青年は目を閉じているせいかその姿にも物怖じせず、逆に挑発するように店主の代弁をする。
「外でやれってよ。どうする?」
「その前に片付く」
相手は愛想の欠片も無く端的に答えた。青年はその返答に片眉をつり上げ、ほう、と声を上げる。
「随分な自信だな」
「お前こそ余裕だ」
「ああ、ああ。余裕に見えるか? そりゃあ残念、少し違うな」
さもおかしそうに青年は言うと「俺は今──────機嫌悪ィんだよ!」
高らかに叫ぶと同時に、男の横面に迅速の蹴りが飛んだ。
わずかに遅れて男はその蹴りを片腕で防ぐが、細身の青年の繰り出した蹴りにしては威力は相当なものだったようで、防いだ格好のまま男の巨体が傾いで床へと倒れた。
一部始終を見ていた客達には、一瞬何が起きたのか分からなかったらしい。ざわざわと騒ぎ、やっと青年が男を蹴り倒したことが分かると「いいぞ、やれやれー!」「やるじゃないか!」などど青年を煽り、逆に男に「なーにやってんだ!」とダメ出しを始めた。
「まさか防ぐとは思わなかったな」
唇が切れたようで、口から伝った血を拭って立ち上がろうとする男へ青年は近づき、感嘆の声を上げる。
さらには手を差し伸べてみせた。
「お前、組織から抜けて護衛屋でもやった方が儲かるんじゃねえの?」
男にとって青年の一連の行動と台詞は侮辱以外のなにものでもない。さらにまだハンデのように目を閉じているのだから尚更。屈辱さえ与えた。
「くっ……!」
呻きに近い声をあげて男はパシンとその手を払う。当たり前か、といった感じで青年はその手をポケットに突っ込むと『ダンフェルグ・ファミリー』のボスの元へと目を閉じながら近づく。その前にまた何人かの部下が立ちふさがるが青年が一言。
「お前ら、死にてえ?」
そう、口元に歪んだ笑いを浮かべて問うと、血相を変えて横へ退く。
口調は冗談に聞こえても、放っている空気が本気だ。何よりも閉じられているはずの目が獣のように睨みつけている気がする。蛇に睨まれたカエルとはよく言うが、部下達はまさにそのカエルになっている気分だ。
アイフィーは完全に怯えているようで、青年が一歩一歩近づくごとにボスにしがみつく。
「な。なによ、何よ! い、今のは下っ端だったからああだけど、もっとつか、つかっ使える奴呼んだら、ああああんたなんか! あんたなんかっ!」
「五月蝿えな」
アイフィーが怯えながら負け犬の遠吠えのように喚くと、青年はうざったそうに目をうっすらと開け、彼女を睨みつける。青い目に睨まれたアイフィーはびくっ、と身を震わせた後「ボスぅ〜」と涙混じりの声をあげた。
「で、そこのボスとやら」
完全に目を開き、アイフィーがしがみついている男に向き直る。
「なんでこいつを送ってきたんだ」
「お気に召さなかったかな?」
あの部下達に、アイフィーの言動。それからすると『ダンフェルグ・ファミリー』のボスはどれだけ酷い奴なのか。そう思っていたが、暴力的なイメージとは逆に、言葉遣いはもちろん格好まできちんとスーツ姿といった───まれに見ない紳士ぶりだった。
「気にいるとかいう問題じゃねえ」
チ、と青年は一つ舌打ちをして
「なんでこう、回りくどいことしてきたって聞いてんだ」
と、面倒くさそうに言った。
「おや。気がついていたのか」
「引き抜きだろ? 前から噂されてるしなぁ。同業者に仲間にならないか持ちかける奴がいるってな」
「うん、やはり最近名が売れてきただけあって、君は頭が良い。それに情報収集の能力も結構なようだね」
首元のタイを直しながらボスはふむ、と呟いた。
「そこの女も、いい加減、嘘泣きやめろ」
「あらら、ばれてたみたい」
ボスの肩へ顔を埋めて泣いていたはずのアイフィーが、けろっとした顔で青年のほうを見る。先ほどまでの高飛車な雰囲気とは打って変わって、急に人なつこい笑みを浮かべた。
「うーん。さすがにここまで典型的なキャラクターだと、演技だってバレやすいのかも」
「君の場合、小説を参考にしているんだろう? 少し自分なりに性格を変えてみたらどうだね」
「ふふっ、今度試してみるわ」
そんな二人のやりとりに、目の前の青年は呆れるしかなかった。
もちろんそれは周りの客も同じで、皆、一様に───参考が小説って一体どんな……しかも試すとか試さないとか……───と考えた。
「何人か伸したが、治療代払えとか言わねえよなぁ? 一応、手加減はした」
「元々こちらが仕掛けたことだしね。文句は無いさ。それに」
パンパンと二度ボスが手を打つと、青年に倒されてその辺に転がっていたはずの部下達が次々と起き上がる。
「全員、それほど柔じゃないんでね」
「いやっはぁ、それにしても結構キツかったッスよ。思いっきりくるんだもんなあ」
「腹痛ぇ! あだっ! ついでに背骨ぇー!」
「ツェイさんのこと余裕で倒したのに……あれで手加減してるんですか……」
下がっていた部下の女性が、少し青ざめながら呟いた一言に、仲間達が一斉にガタイのいい男を見る───どうやら彼がツェイのようだ───これは組織内での常識なのだが、ツェイは一人で『仕事』をしていた頃からかなりの実力者で名が通っていた。今でもその力は健在で、仲間内では主戦力の一人だ。その彼を、彼程に満たない細い体躯で倒してみせた青年。さらに極めつけは「一応、手加減はした」の一言だ。
全員が青年の方を見る。そして全員が顔を見合わせ、ツェイ以外の全員が同時に顔を青ざめさせた。
「……ま、まあ、あれだ。味方についてくれりゃー、すっげえ頼りになるしなっ、な!」
誰かが絞り出した一言に全員無言でコクコクと頷いた。
ツェイだけは呆然と天井を仰いでいたが。
「で。ついでに言っておくが、お前も一枚噛んでるな?」
「え? ああ、何のことかさっぱりだぞぉ? あはははは」
青年が店主の方を向いて言えば、店主はあからさまに視線を逸らして乾いた笑いをする。それに苦笑してボスが「とぼけても無駄みたいだね」と声をかけた。
「今のはほとんど勘だけどな。当たってたか」
「やれやれ。相手が頭が良いうえに勘も良いとくると、トリックを仕掛けようにも仕掛けにくいね」
やれやれと言いたいのは青年の方だった。
昨日の夜に前々から賭けていた遺跡に行ってみたところ、目当てのものは既に無くなったあとだったり、その場に来ていた『同業者』と撃ち合いになったりと散々で、朝から機嫌が悪かった。
さらに苛ついているところに、まどろっこしい演技を含めて勧誘が来たのだから。
「それで、話あんのか、ねえのか。どっちだ」
「うん、きちんと話したいことはあるんだが、ここだと少し話しにくいねえ」
と、ボスは辺りをぐるりと見回した。先ほどから彼らの様子をジッと見ていた客達がはっとして視線を外し、雑誌に目を通したり、カードゲームに興じ始めた。
しかし、彼らの行動はテーブルが傾き、イスが飛び、グラスの欠片が散乱する光景とは全く合っていなかった。
「うむ。外で話そうか」
そう言ってボスが出ていき、青年や部下達が後に続いて人気が少なくなったところで、まさに老若男女問わず。
その場にいた客───ハンター業をしている全員が一気にカウンターに押し寄せた。「マスター! 今の何、今の何!? 芝居? 違うの!?」
「ってか新入り? 新入り? あれって新入り?」
「ダンフェルグに入るんかなあ。マスター、あんたどっちに賭ける?」
「なんだよあれ!? 怖ぇって! オレの中で絶対敵にしたくねー奴ナンバー1だぜ、今のところ!」
「旦那も一枚噛んでたんか。なかなかやるな」
「ねえ知ってる? 名前知ってる? 知ってたら教えてー! マジでカッコイイってー!」
「うわっ、出たよ。強いやつ見たら速攻惚れる病気」
「あー。ついでに情報求む。アイツ、今まで何やらかした?」「おわっ! ちょ、ちょっ、ちょ……! 落ち着け、おまえらあぁぁ!!」
その日、その場で一番苦労する羽目になったのは、芝居をうったメンバーで一人だけ取り残された店主だったらしい。