File 0 :[不変か改変か]-02

 

【不変を望む技術者・前編】

 

 ───あの時から、だったかな。
 何も変わらなければいいなんて思ってた。
 だけど同時に、何かを変えたいとも思ってた。
 ……矛盾してるだろ?

 本質的には、何かを変える行動を取ったのかもしれない。
 同時に何も変わらないモノを望んでたんだ。
 意味が分からない? そりゃ、そうだろうな。
 本人のオレだって、よく分からないんだから。

 ───まだ、模索してる。
 大まかな道は示された。だが、その先で、その道を通ることで何を得ればいいのか。そんなことまでは分からないし、教えられもしなかった。
 大まかな道、ね。道か。人生ってのは話の中でよく道に例えられるよな。それじゃ、オレもそれに習って、オレ自身の人生を道に例えてみよう。
 簡単に言えば、オレがその道を進むためにしている行動は、地べたを這いずり回りながら手探りで一番求めているものを探してる。そんな状態。
 オレが探してるものは、周りの人間からすればただの石ころと同じ。
 オレの目にだって、石ころはみんな同じようにしか写らない。何百、何千とある中で、いくつかは拾い上げるだろう。道を進むために必要なものとして。
 しかし、だ。一番見つけたかった石は、探し続けてたモノは、その道で見つかるのか?
 道なんていくらでもあるし、それを言ったら石なんて数えきれない。その道にあるのかさえ分からない。気が遠くなる話だ。
 オレが進んでるのはそういう道。他の奴と対して変わりない“不変”の道だ。
 探してるのは、他人から見たらちっぽけな、オレ自身の“思い出”って石。
 ───何かを求めるあまりに、他者とそう変わらない道を行く。こんな行動、くだらないって笑い飛ばす奴もいるだろうな。
 でも、オレが自分の意志で選んだんだ。誰が笑い飛ばそうが、この道を進む以外にオレにもう、選択肢なんてもんは無い。
 結局人生って名前のついた道は、最初から最後まで何も変わらない。
 ただ、その道が───枝分かれしてる場合はあるだろうけどな。
 左に行けば幸福になれるよ、とか。右に進めば不幸になるぞ、だとか。
 そりゃあ、神様か何かが気まぐれで、一本道を変えるためのチャンスを与えて下さったんだろうな。あいにくオレは無神論者。神様なんて信じてないが。
 こんなこと、頭の固い大人に聞かれたら「何も知らないガキが人生語るな」とか言われそうだ。ああ、確かにオレは何も知らないかもな。だけど漠然と感じ取ってるものくらいある。

 オレは途中で突然現れた枝分かれ道───先の道を変えるための選択肢を無視して、真っ直ぐ進むつもりだったんだ。

 ───まさか、途中で他人に引っ張られて道を曲がるなんてこと、予想もせずにな。

 

 

「依頼。ハクリーグさんから」
「はー? またかよ」
 黒髪の少年が不満げに返事をして立ち上がり、声をかけてきた少女が指し示すコンピューターのホログラムウィンドウに目を通す。
「『A.W.シリーズ・グラッド4 至急修理を要請』って、この前直したばっかなのに……これ、前のメールじゃないだろうな?」
「違うよ。送信日時は今日のついさっき。手違いで送ってきたわけでもなさそう。前と少し文章が違うしね」
 ほら、と記録を見せながら少女は言う。
「よくもまーまー、しょっちゅうぶっ壊してくれるねぇ。金持ちってのは」
 ガリガリと苛立ちながら頭を掻くと、もう、と少女がたしなめた。
「文句言わない。仕方ないじゃない、相手はお得意さんなんだし」
「嫌なお得意さんだけどな。ついでにお前はオレの苦労が分かってないからそう言えるけどなぁ。あー、行きたくねぇー」
 あー、もう。と、少年が文句を並べはじめようとした時、頭に軽く衝撃が走る。
「イテッ」
「持ってけ」
 短髪の少年が床に座り込んだまま指差して言うので、目でその先を追うと袋が落ちていた。さらに開けて中を見ると赤い小さな玉がいくつか入っている。
「何だこれ」
「『火薬弾』。この辺も最近は物騒だからな。効果は催涙弾と同じだ」
「あれか。投げるだけでいいってやつな。……で、どうしてこれをオレに渡したのかなー?」
「お得意さんが呼んでるんだろ?」
 自分がこなしていた仕事を再開し、短髪の少年はさらりと発言する。が、黒髪の少年の口からは乾いた笑いが出てきた。
「ははは。なー、一応仲間のオレの身を案じてくれたことを喜ぶべきなのか? それとも遠回しに『とっとと行ってこい』と言われた事を悲しむべきなのか?」
 その目が少し呆然としているのは気のせいだろうか。傍らにいた少女が苦笑しながら言った。
「前半の考え方で捉えてあげて」
「わー。ありがとー。とっても嬉しいよー。出来ればいらなかったけど―」
 片手で摘まみ上げた袋を睨み付けながら、黒髪の少年は棒読みで言った。
「んじゃ荷物準備しねえと。あ、破損状況書いてなかったな。連絡取れるか?」
「ちょっと待って」
 少女が慣れた手つきでカタカタとキーボードを打ち、マウスをクリックする。
「ダメだね。向こうの方から受信拒否されてる」
「はぁー? ふざけんなっつーの。どこが壊れてんだか分かんねーと部品の持っていきようが……」
「コードの中身だけ持って行ったらどうだ? 特別製なのはそれだけだ。他の部品が必要なら、街で手に入れればいい」
「あー。やっぱそうするしかねえか」
 首を鳴らし指を鳴らし、溜め息を付きながら奥へと向かう。
「溜め息つくと幸せ逃げるよ」
「もうとっくに逃げてらぁ。だからこのとーりっ、嫌なお得意さんから連絡来てんだろー」
 掌に収まるサイズの銀筒を三つ、黒色をした集積回路を二つ、通常より少し太い金属線を何本か持ち出して丸める。それらを適当に荷物としてまとめ、すぐに別の方へ向かう。
「あ。カスタム用のやつもいれといて。オレ、社長のところ行ってくる」
「はいはい」
 少女が軽く返事をして椅子から立ち上がり、短髪の少年の横を通り過ぎる。
 黒髪の少年は奥へと歩を進め、最奥の部屋へと入る。

 

「社長ぉー、いますかー? いましたね」
 掃除が行き届き、こざっぱりとした部屋に大きなデスク。そこに眼鏡をかけたインテリ風の男性───ここの社長だ───がいることを確認する。
「おや。依頼?」
「そうです。またハクリーグさんのところです」
「あらあら、それは大変ねぇ」
 うんざりといった様子で答えると、社長の隣にいた柔らかな雰囲気を纏った女性が自らの頬に手を当て、困ったような仕草をしてみせた。嫌味でもなく、ふんわりと言った言葉に幾分か毒気が抜かれた気がする。
「それで経費のことなんですけど」
「ああ、そのことなら気にしなくてもいいよ。後で向こうからたんまり貰っておくから」
 けらけらと笑い話のように言うのではなく、にっこりと柔和な笑みを浮かべながらさらりと言ってのける。見た目からすると横にいる女性───社長夫人なのだが───と纏う雰囲気が似ている。
 だが、実際面と向かってみるとどうだ、この違和感。
 まあ、その違和感の正体は説明が出来ない。いや、分からないわけではなく、下手に口に出したら後が怖いから説明が出来ないのだが。
「と言いつつも、この台詞がじゅーぶんっ、ヒントになっている。わあ、なんて勇気があるんだろう、オレ」
「どうかしたのかい?」
「あ。すんませんお願いですからお気になさらずに、というかむしろ気にかけないでやって下さい、今のはすっげーくだらない独り言なんで」
「そう?」
 ───分からなくても察しろ。無理にでも。これ以上は言わん。
 ……それは置いておくとして。
 そんな社長と向かい合って、疑問を口にする。
「それと、今って定期の『ジョイント』通ってないですよね?」
「ちょうど嵐がくる季節だからねえ」
 普通なら定期的に『ジョイント』と呼ばれる───ま、とりあえず、空飛ぶまではいかないが、移動時には圧縮空気排出と反重力装置を利用し(ちなみに、この二つの技術を“併用”してるからジョイントって名前が付いている。安直)浮遊して動く乗り物が通っている。タイヤが必要ないから砂地で動きを取られることも無い。荒野では最適な乗り物だが、強風・暴風・嵐が来てしまえば風で煽られて横転することがある。むしろこの時ばかりは普通の四輪車よりも事故の確率が跳ね上がる。
 そして今の時期は季節風の影響か、嵐が多い。というわけで運行されてないわけだ。
「そんでもって、ついこの前『アルスターV』廃棄処分しましたよね?」
「あー、あれは酷かったね。結構使っていたから、もう限界だったんだろう」
 『アルスターV』というのは、この前までこの“会社”にあった車のことだ。しかし、あれは随分な旧式でこの前まで使えていたのが奇蹟なくらいだった。
「と、なると」
「うん?」
「足、どうすりゃいいんですか」
 そう、この場所から今回の依頼主の所まではずっと荒野が続いている。いや、むしろ今の時代の街なんて、個々の集落が荒野にポツポツと固まって出来ている状態だ。他の街に向かうとなれば、否応にも荒野を渡らなければならない。
 しかも荒野には生き延びていくうちに身体能力が上がり、凶暴化した───事実、厳しい荒野での生活を耐え抜く為の進化なのだが───獣がいる。のんきに歩いているようなことがあれば獲物として狙われるため、最低でも対獣用、護身用の武器・道具を持って歩くか、荒野を一気に渡れるような乗り物がなくては、街と街を移動することは難しい。
 機械技術の進むこの時代では、乗り物に関しても技術は発展している。二輪車か四輪車、たまに三輪車もあるだろうか。老若男女、年齢問わず乗れるものが多い為、後者の手段を選ぶ奴は多い。何より機械を怖れている獣が多いため、武器を持って歩いて移動するよりも遥かに安全なのだ。
 だが、たまーに、武器を持ち、正真正銘自分の足で移動する奴もいる。そういうことをするのは無謀な探検家か、荒野を散策でもしたい気まぐれ屋か、単に乗り物を手に入れることが出来ないかのどれかだ。ただのバカという可能性もあるが。腕に自信のある奴がそれを利用して護衛屋をやっていたりする場合もある。
 ───まあ、話は長くなったが。
 とにかく、ここには今、移動手段が無い。
 それでどうやって依頼主の所まで行けばいいんですか。と、社長に聞いているというわけだ。
 社長はオレの質問に、たった一言で答えた。
「あ」
「『あ』ってなんですか」
「そうだねぇ、すっかり忘れていたよ」
 肘をつき、手を組んで「あははは」と社長は軽やかに笑う。
「あははは、じゃないですよ」
「そうかぁ。そうだねえ。フォルス君に頼むのはどうだろう? 現地の人だし」
「アイツ最近連絡取れません」
 へらへらと笑う灰色の髪の持ち主を思い出しながら答えた。
「『アルスターVB』の方は?」
「あれ中身イカレてますよ。エンジン自体がもう、ボロボロ」
 『アルスターVB』というのは『アルスターV』と同年代に開発された二輪車───バイクで、やはりこっちも年季が入りすぎて廃棄処分寸前。ま、技術者(オレ)のおかげで何とか持ってるけどな。
「それじゃ、ラッフェルさんのところから車を借りてくるとか」
「あれなら、まだうちで直してます。ついでに報告すると部品がないんで、最低でもあと一ヶ月かかります」
 今直している車の持ち主である、気のよさそうな爺さんの顔を思い浮かべ『アルスターV』並みにボロくなり始めている車体を思い出す。「後で直さなきゃなあ」と思い、ちょっと頭が痛くなった。
「それじゃあ歩いて行くかい?」
「無理です死にます」
 そんな真顔で言わないでください。
 交通手段が無いことがはっきりと分かって、どうしようかと悩み始めたときに社長がまた声を上げる。
「あ。『砂上艇』なら連絡を入れれば、動かしてくれるんじゃないかな?」
「『砂上艇』ですか?」
 『砂上艇』。これも乗り物の一種で、頑丈であり、各種武器までフル装備してある。操作性と移動速度はまだまだ改善する余地があるが、武器の他にも強固な装甲を持ち合わせているために、獣への対策面ではトップクラスだ。
 ただし。
「何も依頼一つに“軍装備”持ち出さなくても……」
 元々『砂上艇』というのは十数年前まで軍に大量にあり───それも戦時に使われていた軍の“兵器”。それ故に頑丈で、おまけに武器までフル装備してあるという訳だ。
 戦争終了と同時に大量の『砂上艇』が廃棄処分されたが、未だにいくつかは残っているらしい。理由は『獣への対抗手段』。もしも荒野に点々と存在する街に獣の危機的被害が出た場合『獣殲滅の為に動かす』という条件を、軍は兵器を妬む人々を納得させるために提示している。人々はそれに納得しているのか───事実、兵器の存在を黙認している。
 最もらしい理由付けで、無理矢理納得させていると言った方が正しいか。戦時には最高戦力と謳われた兵器を軍が未だに持っているという事実は、人々にとっては充分な脅しになる。今は使用していなくとも、軍が潜ませている戦力は街一つを壊滅させることくらい容易だろう。つまり「逆らったら何をされるか分からない。だから従っておこう」と人々は自然と考えるわけだ。
「連絡一本ですぐに来てくれると思うよ?」
「いや、勘弁してください」
 社長がのんびりと、デスクの上にあった連絡機の本体へ手を伸ばしかけた。その手を素早く抑えて制す。
「ホント、あの、シャレになってないっす」
「僕は結構本気だったんだけど」
 だから真顔でそういうこと言わないでください。
 毎回思うが、未だに口に出したことは無い。
 ……決して、オレが小心者ってわけじゃないぞ。決して。
「うー、他になんか無いですかねぇー?」
「あら、そういえばリランさんは?」
 社長の奥さんが提案した内容に、正直「げっ」と声をあげそうになった。だがそれを堪えて、出来るだけ動揺を隠しつつ言う。
「り、リランー……さん、です、か」
 実際は思ったより隠しきれていなかったが。
「そう、リランさん」
 ほわわーんという効果音が似合いそうな喋り口で奥さんは言う。
「そうだね。リランならハクリーグさんのところまで送ってくれるかもしれない」
 うわー、夫婦でダブルボケ(ではないんだけど)されるとツッコミにくい。
「ぅ……うぁーあー……うぐぐぐ…………くっ」
「どうかしたのかい?」
「あ。あー、いやー、なななん、なんと言うかー」
 リランという人の顔を思い出して、どもる。
「そうとなれば、連絡をとろうか」
「え? あ! あ、ちょ……っと待って下さい、って、もう遅いです、ね」
 連絡機の上に置かれている社長の手を見て思わず固まった。
 飛び出し音が鳴り、ホログラムウィンドウに人影が現れる。それと同時に、さっと身を低くしてウィンドウが見えないようにデスクの陰に隠れた。思わず頭を手で庇いながら。
『あらあら、久しぶりねぇ。元気? 奥様も』
 デスクの上から明るい声が聞こえてくる。さらに身を縮こませる。
「おかげさまで。夫婦共に健康だよ」
「そちらはどうかしら?」
『こっちは毎日元気よ! それよりどうかしたの? 急に連絡を入れてくるなんて』
「あ。そうだ。実はね、遠方の街から依頼が入ったんだけど、移動手段が無くて困っているんだ」
『ふぅーん。あ、それで私に連絡を?』
 映像上の声は「なるほど」といった感じの声をあげる。
「すまないね。移動の方、頼めるかい?」
『まっかせない! あなたの頼みなら断るわけにはいかないわ。ところで、依頼ってどこから?』
「それが、またハクリーグさんのところなんですって」
 奥さんのほうが「困ったわねぇ」と小さく呟きながら伝える。
 本当に困ったもんだよ、全く。
『あー、ハクリーグ。ということは機器関係ね」
 嫌な予感。
『と、いうことは、またリーちゃん? リーちゃんがいるのね?』
 気のせいか声が浮かれている気がする。
 気のせいだ。うん、気のせいだと思いたい。
 デスクの端からそっと顔を覗かせると、社長と目があった。オレが片手で何も言わずに人指し指を口に当て「しーっ」という動作をすると、社長はにっこりと笑って
「うん、そこに小さくなって居るよ」
 いることをあっさりとバラした。
 思わず小声で「社長ぉー!」と叫ぶと、社長は何も言わずに良い笑顔を返した。
『え? ウソウソ? どこに? あ、いた!』
 映っている立体映像がこっちを向いたから、さっと身を低くする。
 が、もう遅い。
『きゃー! リーちゃん元気してるー?』
 立体映像は良い笑顔で、こっちに両手を振っている。
 うわー。
 思わず耳を塞ぐが、それでも騒いでいるのがよく聞こえてくる。
『隠れてないで出てきなさいって』
 デスクの端から半分だけ顔を覗かせると、まだキャーキャー騒いでいるのが聞こえてくる。思いっきり眉間にしわを寄せて、オレは連絡機の留守用メッセージを真似た。
「ただいま、留守にしております。ご用のある方はピーッという音の後に、そのまま通信を切って下さい。むしろもう連絡しないでください。ピーッ」
『もう、相変わらずねぇ』
 きゃっ、と語尾にハートでもつきそうな勢いの良い笑顔で言われた途端、くらっと身体が傾いた気がした。傾いたと言っても、決して色香に当てられたわけじゃない。最悪の事態を想定して、精神的に何かが崩れかけて思わずよろめいたわけだ。
 と、言うわけで、拒絶したい気持ちでいっぱいなオレは、精一杯の演技をする。
「社長、オレ、急に具合がっ……! ああー、目眩が、頭痛が、腹痛がぁ―……! ってわけで今日キャンセルしていいすかっ」
「ハクリーグさんと連絡とれるのかい?」
 ───しまった、落とし穴。
「それは」
 何とか誤魔化そうとしたら、聞いていたのか遠くから「連絡とれませーん」という少女の少し高めの声が聞こえてきた。
「おーい! 言うなよ!」
「そうかぁ」
「あ。あっ、社長、急に具合が良くなりました! 無茶苦茶ウォーキングしたい気分なんで歩いて行ってきますっ!」
 すくっと立ち上がり、ついでに敬礼をするが、肝心の社長はこっちを見ていなかった。
「それじゃあ、よろしく頼むね。リラン」
『はーい。リーちゃん、今すぐ迎えに行くから準備して待ってるのよー』
「社長、スルーしないでください! ってかいいです悪いですから遠慮しますよ、むしろ来んでええです頼んますから! それと『リーちゃん』て呼ばんでください!」
 ばたばたと身振り手振りをしながら必死に訴えても、相手はまともに聞いちゃいない。からかわれるように軽ーい返事が返された。
『またまたぁー。人の好意には甘えておくことよ? リーちゃん』
「甘えたくねぇー。やめてくれー。って、またその呼び方……」
 そんなオレの訴えも虚しく、ホログラムウィンドウから『それじゃ、待ってるのよー!』という声が聞こえて通信が途絶える。
 待って下さい、マジすか。と社長に言う前に、社長は奥さんと二人、良い笑顔で「いってらっしゃい」と手を振っていた。
「いー。あの人っ、あの人っ」
 ───あの人、すっげー苦手なんですけど。
 勝手に約束を取り付けられたショックでそれ以上訴えきれずに、陸に打ち上げられた魚の様に口をぱくぱく動かす。消えてしまったホログラムウィンドウの位置を指してみるが、社長は笑みを絶やさない。
「彼女は良い人だよ? 時々はしゃぐこともあるけど」
「い、いいい良い人かもしれないですけど、オレに会う時は常日頃はしゃいでるじゃないですかっ。っていうか、あれは『はしゃいでいる』で済むんですか!?」
「そう?」
「そうですよ! 会う度に毎回毎回!」
 くぅ……! と握り拳を作り、涙を堪えるような仕草をしてみせる。泣いてはいないが。
「それとも、僕の友人に会うのがそんなに嫌かい?」
 と、社長が言った。
 はっとしてそっちを向くと、眼の錯覚か。黒いものが渦巻いている気がした。
 ───うん、錯覚。錯覚だと思い込みたい。
 隣では奥さんが不思議そうな顔をしていた。
 あの、この空気に気付いてないって相当なもの(鈍感)だと思うんですが。
「い、いやー、そのー」
「なら、行ってくるよね」
 にっこり。
 社長は今、端から見ればまるで聖者のような笑みを浮かべている。
 しかし、オレからしたら、悪魔の笑みにしか見えない。有無を言わさない笑顔で社長はオレに宣告した。
 ……言っておくが、オレは早死にしたいとは思っていない。
 人間、誰しも命は惜しいじゃないか。ははははは。……はぁ。
 だから即答する。
「はい」
 今日はこのまま寝込みたい気分だ……。

 

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