第2章《獣狩り》
3.【理由】
父さんが村を出てから、二日は経った。
その間ルエル姉とロウ兄、ルイド兄の四人で見張ったりしたけど、やっぱり分からない。あれが何なのか。だけど、すごく怖い。 自分でもよく分からないけれど、すごく。
出てきた瞬間に手も足も凍ったみたいに動かなくなって、背筋がザワザワする。それと誰かに見られてるような気もする。それがすごく嫌だった。
三人共「大丈夫」って言ってくれたけど、それでも何だか安心出来ない。
父さん、早く戻って来てくれないかな……。獣狩り師の一人───クロムの娘であるセリアは、小屋の中で膝を抱えていた。
その傍らには、同じく獣狩り師のルエル。そしてルイド。
ルエルは、よりによってこんな時に風邪をこじらせたのか発熱していて、セリアが布を濡らしてはその額に乗せる。
ルイドの方はと言うと、明らかに顏色が悪い。横になってはいるが、時々上体を起こして「あー」だとか「うー」だとか、特に意味を持たない言葉を発しては頭をおさえる。「大丈夫?」と尋ねると「大丈夫……かな?」とあやふやな答えが返ってくる。何もしていないはずなのに、その声は枯れ始めていた。やがて起き上がる回数も減り、今では苦しそうに息をしながら寝ている。
早くこの仕事を終わらせて帰らなきゃ。この二人を何とかしなきゃ。
今回が初めてと言う訳で、獣狩りの経験はほぼ皆無のセリアでさえその答えを導きだした。
───風邪じゃなくて、虫の毒にやられたのかもしれない。薬で治ると良いんだけど……。
嫌な予感が頭をよぎる。まれに気付かない内に虫に噛まれて命を落とす者もいる。そんな話を聞いていたから、可能性は否定出来なかった。
なんでこんな事になったんだろう。答えてくれる人はいないが、ついつい考える。
今回の仕事、本当に私で良かったのかな。
自分達の住む集落から出る前「お前もそろそろだな」なんて誰かが言った言葉がきっかけで、父さんを含めた皆で───腕が立つと言われている四人と一緒に、私はここに来た。
皆「心配するな」「大丈夫だ」って声をかけてくれるけれど……。
けれど、私は足手まといじゃないのかな?
今だって、怪我をした訳でもない。体調が悪い訳じゃない。なのに部屋の中で怯えてうずくまってるだけ。獣狩り師なのに“獣が怖い”から。
情けない。これで本当に父さんの子供なのかな。
抱えていた膝をもっと強く、ギュッと抱いた。
ロウ兄、寝てないよね。昼間だったら獣も出ることなんて少ないし、出てきても皆がいるし……。
見張り番くらい、私でも出来るよね。
交代しようかと思い立ち上がり、歩を進めた。
その直後、ガリィと何かを引っ掻くような音がする。それはほぼ直感と確信に近かった。あの音だ。
セリアは足をピタリと止めた。
第六感と言えば良いのか。身体に張り巡らされた感覚で、今のはほぼ直感に近いどころか『それそのもの』だと勘付いてしまったから。……怖くて進むことが出来なかった。身体は動かなかったが、耳だけは外の音を確実に拾う。
「獣か!」
獣。
仲間のロウの声が小屋の中にかすかに響いた。それからしばらく無音が続く。
黙っていると、ルエルの苦しそうな息づかいが聞こえてくる。本当に大丈夫なんだろうか。 ルイドも例外ではなく、むしろ顔色の悪さは増しているように思えた。
ふと、ギャア、と鳴き声が聞こえた。恐らくロウが獣に傷を追わせたのだろう。それにしてもすごい。あの正体不明で、特性すら分からなかった獣に一人で立ち向かうなんて。私はとてもそんなことは出来ない、とセリアは思った。
まあ、セリアはまだ獣狩りの経験はない。そう思うのは仕方なかった。
……静かだ。
外からの音は途絶え、小屋の中は呼吸音以外、静かになる。
もしかしてさっきのあの鳴き声は仕留めた時のものだったのだろうか。それにしては、あの気配が消えない。
その時だ。ロウの叫び声が聞こえたのは。
「うわ!」
何だろう、嫌な予感がする。
───そう言えばいつのことだったか、ロウについてルエルとルイドはこんなことを話していた。
『ハッキリ言うと、一つのことに突っ走りがち』
『実力はあるんだよ、実力は。危なっかしいけどさ』
『しかも短気だし』
ルイドが最後にボソリと言う。
確かに、ロウとルイドはしょっちゅう口喧嘩をしている気がする。けれど喧嘩するほど何とかだ、とか言うが、ルイドの気性は穏やかだ。喧嘩と言うよりも、ロウが一方的に当たっっている。
それを聞いていたのか、いないのか。それにロウが怒っていた。
『お前らうるせーぞ! なんだよ、オレにはオレのやり方があるんだから文句つけんなよ』
『別に文句はつけてないけどさぁ、もう少し落ち着いたらどうかなーって』
『同じだろうが』
『はいはい、そこで熱くならないで。だから突っ走りがちって言われるんだよ』
ルエルが何気にキツイ一言を言う。それに反論の言葉が見つからなかったのか、ロウはしかめっ面をすると、それ以上何も言わなかった。セリアもそんな姿を見て「失礼だけど、子どもっぽいなぁ」と思ってしまったときがある。
とにかくロウは一点に集中すると他の事が見えなくなるらしい。まさかとは思うが───今もそんな状態になったのではないかと考える。
しかし反面、ロウの実力はかなりのものだし、判断力もあると仲間は言う。セリアとてロウの獣狩りの様子を実際に見たことが何度もあるわけではないし、ましてヘマをしたなんて話は聞いたことがない。そう決めつけるのは少し躊躇われた。
様子を見てみようと、自分自身を叱咤して足を動かした。その足取りは酷く重い。セリアが恐れを持っているせいもあるが、それ以上に何か重苦しい空気が漂っていた。
足どころか、身体全体が重く感じられる。
セリア自身は気が付いていないが、そんな雰囲気が漂っている中で歩を進めるのはとても大変なことだ。常人なら歩を進めるどころか、その雰囲気が漂っている間は動けないだろう。
重い足を動かして扉の前に辿り着く。相変わらず身体も重く、それはどこか風邪を引いた時に似ている。気のせいか、頭も熱を持ちはじめている気がした。
腕だけで戸を開こうとしても開かない。今の状態では腕を動かすことも困難で、逆に重く感じられるその身体を利用して開ける。
肩から戸に寄りかかっていき、フッと気を抜くと、勢いよく戸が開く。すると今度は支えるものが無くなり、そのまま崩れ落ちそうになったが腕と足を伸ばし、かろうじて地面との激突は避けられた。
腕に鈍い痛みが走った。どうやら擦りむいたらしい。
擦り傷程度、今はどうでもいいと感じられた。
それよりも身体全体を襲う空気をなんとかしたかった。
倒れたままの状態で顔を上げた。だが頭が重く、上がり切らずに空中に半端に浮いた状態になる。
視界の端に何かが見えた、目だけを動かして、見えた方を確認する。
「何……?」
それは薄緑の煙だった。恐らく煙だと思うが。
薄く広く広がっていて、朝には何もなかったはずの場所に異様な光景を生み出す。一体なんなのか考えていると、笑い声が聞こえてきた。何だ、この笑い声は。誰のものだ。
「はは、ははは……」
誰かを嘲笑っているかのような、愉快そうな笑い。ただ、酷く曖昧だ。頭が重くてぼんやりしていた。だからどんな笑いか判断するのも難しくなっていると言うのか。
声の出所はどこだ。辺りを見回すが人影は見えない。
───そうだ、この村の人たちは獣を怖がって出てこないんだった。なら、この笑い声は一体誰のもの? 獣の恐怖が抜けていない村で愉快なことがあったと言うのか。
次第に痛みはじめた頭で考えるが、思い当たらない。
やがて、見えていた範囲の煙が無くなり始める。
その端に見えていたのは刃物だった。どこか見たことがある。
獣狩りで使われる短剣だ。
獣狩り師でも得意とする術は違う。それ故に武器なども人様々だ。
短剣一本で切りこんでいくような者もいれば、罠を仕掛けるのが得意な者もいる。
今回の獣狩りで短剣を持ち歩いていると言えば───。
「ロウ兄!?」
セリアが叫ぶと同時に頭を上げた。
おかしなことにあの嫌な空気は消え去っていて、身体が動かせる。重さが消えたせいか今度は腕の痛みが感じられ、思わずその場所を押さえる。押さえた手には血が付いていた。だが手のみで押さえて血が止まるはずもなく、地面にポタリ、と一滴落ちた。
今は、それどころではない。
急に開けた視界にはロウが入っていた。ただし、地面に倒れている。
「う、うそ……ちょっと!」
慌てて駆け寄る。足は先ほどの重い感じが嘘のように、思ったとおりに動いていた。
近くまで来て膝をつく。ロウは目を閉じていて、微かに呻いていた。
「ロウ兄……ロウ兄!」
声をかけると目が徐々に開く。意識はあるみたいだ。けれど呻き声は止まらずに苦しそうな顔をしている。
何か言いたいことがあるのか口が動く。けれど途切れ途切れになっているそれは言葉としては意味不明なものだった。
この症状は何だ。
獣狩りに出るまでに教わった知識を頭に描き、探る。
一番それらしいのは痺れ薬だ。だがいつそんなものを口にしたのか。まさか村人が食事に混ぜた? もしそうだとしても、何故そんなことをする必要があるのか。獣狩り師を動けなくしたところで村人に得はない。むしろ獣が現れているというのに狩るものがいなくては、獣に脅えた生活が続くだけだろう。
なら、どうして。
ルエルやルイドなら分かるかもしれない。だが今二人は動ける状態ではなかったことを思い出す。今もこの騒ぎの中、出てこないところを見ると相当酷いのだろう。
とにかくロウをこのままにしておくわけにはいかない。そう思って一度仰向けにする。
その時、あれ? とセリアは思った。
ロウは何故口布をしているのだろう。そう言えば、先ほどまで煙が辺りに広がっていた。薄緑の、妙な煙……。
あ! と声を上げた。そう言えば昔に聞いたことがある。“緑色の煙が上がったら逃げなさい。それは毒だから”と。
まさか、あれがその毒霧だったと言うのか。
それにしても不思議だ。こんな知識なら獣狩りのことについて教えてもらっていた時に聞いたはずなのだが、いつ聞いたのかをさっぱり思い出せない。
一体いつ聞いたのだろう。考える間もなく、ロウが呻く。
もし毒を吸ってしまったのなら、下手に動かすことは出来ない。しかも今は解毒剤を持ち合わせていない。解毒するとなれば、自分らの住んでいる集落に取りに行くか、材料を一から集めるかしかなかった。
ひとまず水を飲ませよう。そう思って立ち上がりかけた時、腕を掴まれた。振り返るとそれはロウだった。
「ロウ兄、動いたらダメだよ! 毒が回っちゃう!」
「あ、いにく……毒なら、少し抜いた……」
「え? どうやって?」
「後で、な……いいか? よく聞け……」
もはやロウの腕には力が入らず、地面に放ったままだった。言い始めた顔は歪んでいて、苦しいのを我慢しているのが見て取れた。呼吸の仕方だって普通ではない。けれどそれを指摘しても聞かないだろう。彼は。
「できたら、集落から……誰か、呼べ」
「え?」
「それか、大将、に……伝えろ……」
「伝えろって、何を?」
「無理なら」
ロウは少し間を置いてから言う。
「逃げろ……」
目の前が、白くなった気がした。だがすぐにその言葉が頭の中に入ってきてセリアは驚く。
───逃げろって、どうして?
意味が分からずに困惑する。何から逃げろと言うんだろう? まさか、『獣』から?
セリアは考えをまとめると、ロウに再び聞く。
「どうして逃げなくちゃ行けないの?」
「いいから……」
「獣なんでしょ? 獣から逃げろって」
私だって、獣狩り師なんだよ?
何も出来ないかもしれない。それでも、あの名手の娘で獣狩り師なんだよ───そう言おうとしたが、ロウに遮られた。
「違う」
「違うって何!? ロウ兄が言ってること分かんないよ!」
両手で頭を抱え、耳を塞ぎながらセリアは叫ぶ。いや、怒鳴り声に近かった。視界が揺らいだ。眼にはいつの間にか涙が溜まっていて、今にも落ちそうだった。
嫌だ。どうして泣いているんだろう?
そうだ、いつもだ。
いつも何かある度に邪険にされてきた。
獣狩り。同じ年の子は、小型の獣ならもうとっくに仕留めるようになっていて、仕事の後はいつも自慢げな顔で帰ってきた。そして皆に一人前扱いをされて。
私はそれを傍目で見ているしかなかった。
私だって、そろそろ獣狩りに出ても良い頃じゃない? と言っても、いつも「お前にはまだ早い」の一言で済まされてきた。
いつの日のことだったか。集落に獣が来たときもある。
他の子が立ち向かって行く中で、その時も術がない私は小さな子と一緒に逃がされていた。
それは邪魔だったからじゃないのか。
何も出来ない。足手まといだからじゃないのか。
分からない。
確かに、獣狩りの一族───クト族として生活しているのに。
獣狩り師として扱われたことがなかった。それが今回やっと仕事に出ることが出来るようになって……。
自分でも分かる。浮かれていたんだ。やっと皆と同じく扱われるようになって。
実際に出てくると───怖くて仕方がなかった。うずくまって怯えているだけで。出ても役に立つことはなかった。
今も三人が動くことが出来ないのに、代わりに役に立つことが出来ない。本当に、足手まといだ。
皆それが分かっていたから、私を今まで仕事に出さなかったんだ。
ただでさえ役に立たないのに「逃げろ」なんて。───そんなの、私が邪魔だからじゃない───
本当に、泣きそうになった。
嫌だな。これで泣いたらなんて言われるんだろう。
とうとう、目から涙が流れた。
ロウが苦痛に耐えながら「おい」と声をかけるが、セリアはますます耳を押さえ、目を閉じるだけだった。何度やっても同じだ。
さすがは仲間お墨付きの短気と言うべきか。セリアの態度にとうとう腹が立ったらしく、ロウは上半身を起こすとセリアの片腕を掴んで乱暴に引っ張った。毒にやられたと言うのに、よくそんな力が出てくるものだ。
セリアの片腕はあっさりと耳から外れた。だがセリアも抵抗しているのか、地面にうずくまる。
その様子にロウは眉間にしわを寄せた。そして両肩を掴んで無理矢理地面から起こし、閉じている目を見て言う。
「いいか、落ち着け……」
一瞬、何を言われたのか分からずにセリアは惚ける。
まさかあのロウに落ち着けと言われるとは。
少し驚いて目を開いた。
ただ、ロウは無理をしたのが身体に響いたらしく、片目を細めて苦痛を耐えていた。汗もかいている。
「お前が、逃げるのは……獣からじゃない……」
え、と言葉を発する前に、セリアの顔に動謡が走ったのが分かった。獣じゃないなら、一体何から。と言いたげだ。なんとも説明しづらい。
あー、何でよりによってこんな時に大将いないんだ……。
と、彼の顔を思い浮かべて考えるが、彼にそう言ったら返ってくる言葉はきっと「お前らが俺に『行け』って言ったんじゃねぇか!」とかだろう。しかも不愉快そうな顔で。
誰が行くか話をしていた時だった。場所知ってるのは大将だけだろ? と言えば、彼はうっ、と言葉を詰まらせたことを思い出す。
こんなことなら、場所くらい大将から聞いてオレが行けばよかったな……。そう思うが、今更だ。
前々から頼まれていた言伝を思い出して、セリアに向かって言う。
「お前、に、とって……ある意味、獣より……最悪な奴だ……」
そのとき、風が吹いた。ただ普通とは違うおかしな風で、つむじ風と言えば良いのか。オレ達の周りを囲むように吹いて、少しづつ弱くなる。
オレは、この風を知ってる。
背筋に悪寒が走った。
動きづらい首を駆使して上を見ると、眼に映ったのは空と───
*
「だぁ〜……何だこいつら! さっきからうじゃうじゃ出てきやがって!」
クロムが気のせいか、額に青筋を浮かべて叫んだ。
そんな彼の目の前にいるのは獣だ。だが、ある程度距離を取って、それ以上は近付いてこない。
クロムの隣にいるのはレリック。クロムが汗までかいて熱そうにしている中で、レリックはやはり涼しげな顔だ。
「相手はよほど村に誰かを近付けたくないのか、暇なのかのどちらかだな」
獣が近づいてこないのは、レリックが『防護壁』なるものを張っているからだ。それは言ってしまえば魔力で作られた盾のようなもので、ある程度までなら魔法に関係のあるものは何でも防いでしまう。ただ、目の前にいるのはどうみても獣で、魔法に関係あるのか? と聞かれてしまえば全てが関係あるとは言えない。
防護壁は普通、魔法は防ぐことは出来るが、獣のように直接的に攻撃を仕掛けてくるようなものは防ぐことが出来ない。さらに魔法使いの技術や魔力の強さにも比例する。
けれど目の前では、魔法を使ってはいるものの、直接的な攻撃をする獣を防いでいる。
まあ、それはレリックだからこそ出来る芸当なのだが。
それに、この獣は先ほど現れた『ハームニードル』と同じだった。そうとなれば対処法は分かりきっている。防護壁を張ったまま、レリックはクロムに声をかけた。
「行くぞ」
「お、おぅ」
そのまま前へ踏み出すと、獣はいとも簡単に煙と化す。
進む度、煙は眼に見えない円形に沿って離れて行った。
あれは毒で構成されている獣だ。本物の獣ではない。誰かが獣を象って毒で作った造形物。
本物の獣なら、クロムは進んで退治してさっさと先に進むことが出来るだろう。けれど魔法に関係している、そして毒となれば、うかつに手を出すことは出来なかった。解毒するものを今は何も持っていない。いや、持っていたとしても、毒にやられて立ち止まる訳にはいかなかった。今は一刻を争う。
けれどさすがに歩いて一日で着く距離を延々と走るのは疲れる。息などとっくに切れていた。レリックが密かにかけた補助魔法があるにも関わらず。
砂漠を走るとなると、よほどの体力が必要になる。
今走るのは無理だと、息を切らしながら早歩きをしていると、横からレリックが現れる。やはり涼しい顔をしていて、しかもクロムを追い越しそうだと言うことは、スピードを上げているのか。いや違う。レリックのペースは変わらずに、クロムのペースが遅れただけだ。
涼しい顔をしているどころか、息もあまり切らしていない。
こりゃ負けてられねぇ。と、変な対抗心を燃やしてクロムも徐々に走り出す。
「聞いて良いか?」
と、突然レリックが言い出す。いきなりだったので驚いてクロムは「何だ?」と聞き返しながら立ち止まるが、レリックは「進みながらで良い」と言って歩みを止めず、クロムを追い越した。クロムが慌てて走って追い付くとレリックは聞いてきた。
「どうして魔法が関係していると思ったんだ?」
その言葉にあー……。と言い、首元を指で開きながらクロムは答える。両者とも、進む早さは変わらない。
「ただの獣にしてはおかしかったから。……じゃ、済まねぇか?」
「ああ。ぜひとも聞きたいね。『魔力片』も分からないのに、どうして」
『魔力片』とは、レリックが言うには『人を包む魔力のオーラ』の事なのだそうだ。魔法使いなら、それで相手が一般人か魔法使いか分かると言う。だがクロムは魔法とはかけ離れた職種の『獣狩り師』。レリックがあの伝承にある“悪魔”と分かったのも魔力を感じ取ったわけではなく、ほぼ獣狩り師としての直感で、だ。
「……うまく説明できねぇかも知れねぇぞ?」
「別に詳しくなくても。断片的で良い」
クロムはしばらく黙ったまま走り続けた。
その間にも獣を象った毒は現れ、防護壁にぶつかっては消えていった。
レリックは自分で聞いていて興味があるのかないのか。クロムの顔を見ずに同じペースで進む。
やがて、クロムは口を開く。
「あれは……俺の、娘だが……」
語り出すと、レリックはフードの奥で幾分か眼を細める。歩く音と時折現れる獣を模したものがぶつかる音が煩いので、集中しているのだ。
クロムは、語り始めた。
「あれの母親は───魔女、なんだ」
その言葉にレリックは眼を伏せた。
*
「なに……?」
セリアはロウと同じ方を見ていた。
彼女の瞳に映っているのはロウと同じく、空と───
「誰?」
人間、だった。
焦げ茶のローブを纏って、宙に浮いている。確かに下を、こちらを見ているはずなのに、フードの奥が暗くて顔が分からない。
ありえない光景だった。人が宙に浮かぶなど、一体どうすれば出来るのだろう。
その人物は徐々に下に降りてくる。それを見てロウはハッとした。
とっさにセリアの腕を掴んで、自分の後ろに引っ張る。
セリアはよろめきながらロウの後ろに周り、毒のせいか。痛みを持った頭を押さえるロウに声をかける。
ロウは頭を押さえながら、その人物に向かっていきなり罵声を浴びせた。
「近づくんじゃねぇ!」
「ロ、ロウ兄……」
セリアが自分の名前を呼ぶのに気が付いているのか。分からないが、ロウはどこかぎこちない動きで、肩に下げてあったもう一本の短剣を持つ。もはや息は切れ、肩が動いている。静かにしていなくても、呼吸音が聞こえた。
その様子を見て、降りてきた人物はクスリ、と笑った。顔は見えずとも雰囲気で感じ取れる。
ロウの言葉を無視してその人物は近づいてくる。
「近づくなっていってんだろ! 刺すぞ!」
セリアは傍にいるせいで良く分かった。ロウは殺気立っていて、本当に近づいたら持っている短剣を刺しそうな勢いなのだ。短剣は磨かれていたのか、汚れがなく太陽の光を反射して光っていた。ただ、自分の前にはロウの片腕があって、どう見ても自分を庇っているように見える。
ルエルとルイドから短気だ、とか、突っ走りやすい、とは聞いていたが、いつもここまですごいのだろうか。
───セリアは気が付いていない。ロウの言葉の中に“焦り”が混じっているのを。
「その身体で、何が出来る?」
その人物はロウに向かって言った。ロウはその人物を睨み付けながら、何も言わない。
どんどん、近づいてきた。
「それにしても、上半身だけでもよく動かせたものだね」
その物腰は柔らかい。だが、それが余計にあるものを強調する。それは底知れない雰囲気だ。掴みきれないような、後味の悪いような感じ。
「けれど、足は動かないんだろう?」
いきなり見破ってきた。確かに、ロウの足は今、全く動かない。それどころか感覚があるのかどうかさえ怪しかったのだ。
その人物はもう、すぐそこ。
その人物は近づいて、ロウの足を軽く蹴った。蹴られた方向に足が傾く。
けれどロウは何も言わない。神経が麻痺してるのだ。
しかしロウは、それどころではなかった。目の前にいる人物を睨み付けてるのに懸命で、手元では、短剣が光る。
「そんな短剣を持って、どうする気なのかな?」
一見易しげに尋ねれば、ロウは強く答える。
「こう……するんだよっ!」
同時に、短剣が空中を移動した。