第2章《獣狩り》

 

2.【毒】

 

 あれから魔法使いは一人の獣狩り師と共にあの“見えない獣”が現れると言う村を目指すことになった。ただその村は砂漠を越えた先にあると言う。
 まあ元々、メシャニーゼ付近は砂漠が多いのだが。
 人が多く、会話が飛び交う市場で「準備をした方がいいぞ。あっと、こりゃ失礼。いくら何でも分かるか」と獣狩り師の彼は言うが、魔法使いが脇目も振らずに進むため、傍から見れば彼は一人芝居でもしているようだった。
「おぉーい、ちょっと待て! 待って下さいよ、旦那!」
「……旦那?」
 彼がまるでおかしい事でも言ったように、魔法使いは呆気にとられたような、今にも笑い出しそうな、どっちともつかない声で遥か後ろにいる人影に聞き返す。そう言えば名乗っていない。名前も聞いていなかったな、と思いながら。
「いくらなんでも、水も持たねぇで行くつもりかい?」
 左手で袋状の物を持ちながら言う。動物の皮や胃で出来た水筒らしい。右手に持参していた荷物袋を持っているが、その中からガラス独特の反響音がするので、瓶も買ったのだろう。「とりあえず、これ」と左手に持っていた水筒を差し出してくるが「いや、いい」と断った。
「歩けば一日で着く距離だ。長旅と言うわけでもないし、水ならある」
「どこに?」
「ここに」
 魔法使いがローブの奥から手を出し指先をスッと立てる。彼は訳が分からないと言う顔をすると、その指先に向かってどこからか水の粒が集まって来てまとまり、指先の上で宙に浮かんだまま、顏の大きさほどの水球を作った。
 それに「ほぉー」と、が声を上げた。
「魔法ってわけですかい」
「その通り。空気中の水を集めただけさ。砂漠は地こそ乾いて砂にはなっているが、空気は完全に乾いていない」
 答えて、くるっと円を描くように指を動かす。そうすると集まっていた水が球の中で回って渦を作り、まるで台風のような形をとる。そのままグルグルと回ってやがて消えてしまった。恐らく蒸発したのだろう。
 それを物珍しそうに見ていた彼が、答えが矛盾していることになんとなく気がついたらしい。腕を組んで聞き返す。
「空気も乾いてるから砂漠って言うんじゃ……」
「普通はな。でもこの辺り一体は近年に砂漠化し始めたばかりでそうでもない。なに、空気が乾いているなら水脈を探し出せばいいだけだ」
「そうか。って、あんたずいぶん簡単に言うが、そうそう見つかるもんじゃねぇだろ」
 突っ込むと、魔法使いは迷いもなく、出していた手の人差し指をピッと立てながら「その時はこれさ」と言う。つまり魔法の事を指してるのだ。
「はぁ。いいねぇ、何もかにも簡単そうで」
 皮肉に聴こえるが、彼は本気でそう思って言った。これ以上便利なものはないだろう、という風に。それに「いいだろう、簡単で」と、どこかすっとぼけた返事が返ってくる。
「上手くいかないものもあるけどな」
 その一言と獣狩り師の彼を残して、魔法使いはフォーラルステイトの入り口へと向かった。置いていかれた方はどこか怪訝そうな顔をしながらそれを見て追う。
 そもそも「魔法かもしれないから魔法使いに頼もう」と仲間内で話をして頼む事にはしたが「どこの魔法使いに頼むか」なんて決めはしなかった。王宮魔導師でもない限り、魔法使いが一箇所に留まっている事は珍しいからだ。大抵は旅をしている。
 今回の場合、仲間内で誰が魔法使いを探してくるか、と話し合いをしていた時に、用事でフォーラルステイトに泊まってきてから帰ってきた村人がいて、高等魔法使いがいたと話をしていたのだ。それを仲間が偶然耳にし、フォーラルステイトにはちょくちょく行っているという彼が代表で出てきた。“偶然に偶然が重なった”“ついていた”という訳だ。
 それにしても、彼は強運の持ち主なのではないかと思われる。
 さっきも言った通り、魔法使いが一箇所に留まっている事は珍しい。この魔法使いがフォーラルステイトをとっくに移動していてもおかしくないからだ。
 けれどあの魔法使いは、基本的に金に流される魔法使いでもない。今増えている、魔法を簡単に暴力に使うような悪徳な魔法使いでもない。まあ、ディアガとその部下をこらしめる為には使ったが。
 ようするに、今の世で言う “良い魔法使い”なのだが、いかんせん、悪魔の容姿を持つ故に忌み嫌われてきた。そのせいかあまり人に近付く事はしない。ましてや、頼まれ事など。けれど相手が国王の場合は『高等魔法使いの称号を授かった』という立場の為に、従う事もまれにある。
 過去に何があったのかは知らない。
 けれども、忌み嫌われる存在であるという事だけは確か。
 この世界『レスネイション』では悪魔の事は伝承になっていて、昔から恐れられてきた。もちろん、幼い子供達もそれを知っている。伝承の中に「近付いてはならないよ」「殺されてしまうよ」といった内容で、子供でも分かるような唄があるからだ。伝承内容には残酷過ぎるものもあるため、幼子にそのまま伝える訳にはいかなかった。それを考慮してなのか。
 誰がこの伝承を伝え始めたのかは何故か誰も知らない。古い書物を紐解いてみても、記録に残っていないのだ。
 けれどそれは、信教者が神の御言葉を授かったかのように───何かに操りの魔術でもかけられているかのように、無信教者でさえも重要にしている者が多い。
 ただ今回、高等魔法使いという事を見破っただけで名も知らない魔法使いに仕事の協力を頼んだ彼は獣狩りをしている者。
 獣狩り師に必要なのは、獣相手に立ち向かう事の出来る術だ。彼等は生活を脅かす獣がいるという、ある意味で酷な現実を目の当たりにしている。現実に生きている、と言ったらいいのだろうか? 獣狩り師は基本的に現実主義だからこそ、伝承を知ってはいるが「誰が伝えたのかも分からない。しかも悪魔の容姿を持つ者なんて見たことがない。噂だけの半分嘘っぽい伝承だ」と思っているため興味を持っていない。
 魔法に関しても興味がない訳ではないが、血筋のせいなのか、獣相手の感覚と体力が発達している獣狩り師で魔法を使える者は少なく、獣に立ち打つ事の出来るほど魔法を使える者は珍しい。むしろそうなると仕事の面では魔法使いの部類に入ってしまうのだ。だから一種の娯楽として魔法を好いている者が多い。
 まあ、色々な要素があって獣狩り師のほとんどは伝承をあまり信じていない。
 彼もその内の一人であるため、一種の娯楽として魔法を好いている。伝承なんて信じていなかった。少し矛盾していると思うかもしれないが、己の目で見たことのある魔法は信じたとしても、見たことのない悪魔の存在は信じないという事だ。
 けれどシーファの店に入って、辺りを見たときに分かった。
 伝承には悪魔の特徴が記されている。それが頭に入っていたせいなのかもしれない。でも魔法使いはフードを深く被ってそれを隠していた。ならば何故か。
 それは獣を相手にする内に鍛えられた感覚。ほとんど獣と対等と言ってもいい。見る限り平然としてはいたが、心中ではそれが働いて、身体中の毛がざわざわとし、血が沸いたように落ちつかなかったのだ。そして頭の中がやけに、一つの答えのみを鮮明に導きだしていた。
 こいつは悪魔だ、と。
 言うなれば獣狩り師のその力とは本能でもある。気配を感じたり、危険を察知したりする力。自ら危険に投じ、獣と対峙するには普通の人の感覚では無理だ。
 だから。
 獣狩り師は常にいつ獣が襲ってくるかという危険が付きまとっていたからこそ、その力を鍛えられた。が、大抵の人は防壁を作り、獣を相手にすることがなくなった。だからそれが退化してしまった。
 店の客は、魔法使いから何となく感じられる気配に息詰まりを感じて遠目に見ていたのだろう。それが何かを分からずに。
 けれど獣狩り師の彼の場合はほとんど直感……というより、本能でそれに気がついた。ただならぬ気を感じたと言うのに、それでも勇気を振り絞って近付いていったというのなら、その行動はまさに拍手ものである。
 だが彼の場合、伝承を信じていなかったのに目の前にその通りの存在が現れて物珍しかった、という好奇心があった為に楽に近付いていったのだから拍手もの以前の問題で呆れてしまう。
 そのどこかで無防備な面を見せた為に、今回の仕事を頼む事が出来たのかもしれないが。
「それにしても」
「ん?」
「何でもない」
 いつの間にか追い付いていた彼が不思議そうな声を上げるが、魔法使いは答える代わりに歩く速度を上げるだけだった。
 砂を踏み付ける音と風の音だけが聴こえる。目の前にあるのは幾つもの砂丘と、とうの昔に枯れ果てた木と木の枝だけだ。
 なんかなぁ。と、立ち止まって頭を掻きながら獣狩り師の彼は呟いた。
 本当にこの高等魔法使いに頼んでよかったかなぁ? と思いながら。
 そこで追い付くためが半分、今ふと思ったのも半分で声をかける。
「あ、あー。ちょっと待った、いまさらだが名前は?」
 前を歩く魔法使いが歩みを止めた。
「俺はクロム。血族名は、言わんでも分かるわな」
「私の名か?」
「いつまでも『旦那』とか『悪魔様』って呼ばれたいか?」
「遠慮する」
 ローブを羽織っていながらも肩を竦めたのが分かった。
 賢者とも呼ばれる立場にある高等魔法使いに『クロム』がこうもあっさりと、むしろ口調さえも気を使っていない問いかけをしているのはなんとなくだが「この高等魔法使いはそういうガラじゃないな」と思っただけだからである。もしかしたら無意識かもしれないが。
 実を言うと全くもってその通りなのだ。この魔法使いは、例えば注目されたり、妙な他人行儀で話されたりするのはあまり好きではない。
 それは普段“悪魔”というだけで嫌悪や恐怖の目で見られたりしているからかもしれない。
「レリックだ」
 魔法使い───レリックはそれだけ言うとまた歩き出す。
 おかしい話だが、レリックが名乗った時の顔は今まで分からなかったことについて一気に全てを悟りきった時のような顔でもあり、悲しみを称えたような顏でもあり、達観したような顏でもあった。或いは全ての感情が入り交じったような。
 この魔法使いはそんな微妙な表情を作ってみせる。
 おどけてみせるのは道化のようでもあり、時たま纏う雰囲気は老人のようでもあり、魔法で水を呼び出そうなんて普通に考えたら無謀な事をしようとしているところは少年のようでもある。
 『掴めない』というのが一番しっくりとくるだろうか。
 もしかしたらこんなところも悪魔と呼ばれる由縁になっているのかもしれない。と、レリックにとって残酷な事を考えてしまう。
 クロムはその考えを振り払うようにぶんぶんと首を振った。「今さら色々考えたってもう頼んじまったんだ。どんな奴でも信用するしかないだろ」と。
 彼は楽天家と言うべきか。それとも考えが浅いと言うべきか。どちらにしてもクロムの中でレリックに助っ人を頼む事は決定したらしい。 今さら決定という事は、自分で頼んだくせに今まで信用していなかったとも言えるが。
 ふっ、と前を見ると、レリックはもう点になっている。
 また置いていかれた。と、ぼやきながらクロムはレリックの後を追った。

 


 煌々こうこうとした光が木々の間から注ぎ、寥々りょうりょうとした建物の近くに彼はいた。
 あれからすでに二日と半分は経ってるが、大将は上手くやってんだかなー、と、熱くなりがちなクト族のロウ青年は思った。ちなみに彼は今、村端の古びた小屋の外。箱の上に片足だけあぐらをかいたような格好で座って短剣の手入れをしている。
 中ではクロムの娘セリアと、ルエル、そしてルイドが寝ている。ロウだけが起きているのは獣が出てきた時の為の見張り番の為だ。
 まあ、出てくるとしてもウサギやらネズミやら何やら、害のない奴ばかりだとは思うが。人を襲ったりする獰猛な獣はどちらかと言うと夜行性で、昼間活動するものはほとんどいない。
 ふわ……と柔らかい音がした。剣を磨く為の布を落としてしまったのだ。
 折り曲げている足もそのままに、左手に短剣を持ち腰を曲げて手を伸ばした。布に手が届くか届かないかと言うところでカシャン、ボスッ、カチャカチャと共通性のない音が自分の右側からする。見てみると箱の上に置いてあった別の短剣と、わなをしかける為に使う小道具が入った袋が落ちていた。とりあえず布に手を伸ばして、自分の曲げていない左足の上に乗せる。そして短剣と袋を拾い上げると、今度は布がない。また地面に落ちていた。
 それを二回は繰り返しただろうか。その後、ロウは磨き途中の短剣もほったらかしで「はぁぁ〜」と気の抜けきった声を出した。実際抜けているのだが。
 クロムが助っ人を頼みに村を出てから二日。いつもなら『たった二日』だが、今の彼ら四人からしてみれば『二日も』だった。
 あの正体不明の獣はやはり相変わらず正体が掴めないわ、一部の村人から苦情はくるわで、身体的にも精神的にも疲労が溜まりつつあった。いつもならこんなことはないのだが、今回ばかりは退治法はもちろん、対象の獣の性質、習性、はっきりとした特徴がない。先ほど『獰猛な獣はどちらかというと夜行性』と言ったがそれはあくまでも今までの経験からの予測だ。故にいつ襲ってくるかも予想出来なかった。今の所、なんとか夜にしか現れていないが。
 それにロウが疲れているのもそうだが、仲間達のほうが酷かった。
 ルエルは風邪こじらせたのか発熱している。ルイドも平気だと自分では言い張っていたが、明らかに顏色が悪い(真っ青だった)ので強制的に小屋の中に追いやった。セリアは父親がいない不安と初めての仕事の緊張のせいか、精神的に酷くまいっていたようだ。クロムがいなくなってから二日間、『見えない獣』が現れる度に震えていた。自分でも比べるのはどうかと思うが、これであの獣狩りの名手の娘かと思うほどに。でも自分も最初はあんな感じだったかもしれないな、とも思いながら。
 仕上げに剣を別の布で拭いた。磨き込まれたそれはロウ自身の顔を写し角度を変えると太陽の光を反射した。
 短剣に宿る眩しい光を見て『まだ昼間か』と思い、『もう昼間か』とも思う。
 獣退治でここまで神経を削られる思いをするなんて初めてだ。
 あー、と口に出しながら両足を伸ばす。手は無気力に下がっていた。完全に力が抜けきった体制で、瞼は半分閉じかけていて眠そうだ。けれどその奥の目は空と雲をぼんやりと映していた。
 大鷲が一羽、空を飛んでいた。
 あんな風に飛んで獲物を捜せりゃあ、どんだけいいんだか。
 瞼が先ほどより閉じかかっている。
 やべぇ! と言いながら上体をガバリと起こし頭を左右に激しく振る。両手で自分の頬を叩き、目を覚まさせようとした。この村からの依頼で出てくる前に他の仕事を終わらせたばかりだったから、三日はまともに寝ていない。いつもなら交代で見張るが、今は他の三人はそんなこと出来そうにない。村人は怯えて家の中から出てこないし、クロムが助っ人を連れて帰ってくるまでは自分がなんとか見張りをしなければならないと思った。
 けれど王宮魔導師でもない限り、良い魔法使いなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。あと何日かかるんだか……そう考えたのと寝不足のせいで頭が痛くなってきた。
 ロウはイライラと、神経の削られる思いで見張りをしながら「誰でもいいから早く何とかしてくれよ」と願うしかなかった。
 そんな彼の目の前にいつの間にか一羽の鳥が舞い降りていた。
 小鳥ならまだしもかなりの大型だ。翼を広げれば2メートルぐらいはあるだろうか。
 それはさっき飛んでいた大鷲だった。何でそんな鳥がこんな人の近くに、しかも木ではなく地面に降りているのだろう。
 ───眠気は、判断力を鈍らせる。
 ハッとして近くにあった短剣の一本を手にした時には、大鷲はすでにこちらへと向かってきていた。大きく鋭い爪を向け、嘴を開いて。
 チ、と舌打ちをして横転する。向かって来た爪は座っていた木箱のつなぎ目に食い込み、削ったかと思うと、そのまま破壊した。
「獣か!」
 叫んで短剣を構える。木箱の残骸が爪にかかったまま、獣の狂気じみた目がこちらを向いた。

 獣でも人に害を与える奴と、そうじゃない奴がいる。
 今となっては人々は人以外の生き物を全て『獣』と呼んでいるが、正確に言えば『獣』と『動物』に分けられる。人は自分達を唯一無二の種族『ヒト』としているが、本当は人だって『獣』や『動物』と同じだ。
 仮に『動物』を『人』に置き換えて考える。
 さて、ここで問題だ。人はまともな奴ばかりか?
 正解は、ノーだ。まともじゃない奴なんてたくさんいる。そんな時、アンタらはそいつをどう思う? 酷い言い草だが、自分と同じ『種』だってこと、認めたくないんじゃないか?
 『獣』は『動物』から見るとそれと同じだ。元は『動物』に分類されるのに、狂った。凶暴になった。異様な強者。周りから見たら異常な存在。周りから疎外された存在。同族から同種と見做されない存在。それが『獣』。
 そして獣狩り師はそれを狩る。
 同種から異物に成り下がった、そして強者に成り上がった『獣』を。
 相手は鷲だ。けれど異常な力を持った強者だ。箱を削る程度ならまだしも、粉砕するなんて芸当は普通出来るワケがない。
 だから狩られる。

 そいつは目を光らせてまた向かってきた。とっさに地面の砂を一掴みし、投げる。目潰しのつもりで投げたのが上手くいったらしい。ギャアと鳴いて地面に不様に落下した。
 翼をバタバタと動かして立とうとしている。その度に茶褐色の羽根が抜け落ちて宙を舞う。鷲だからまだいいが、これが烏だったらもっとおどろおどろしい雰囲気になっただろう。
 近付いて首を地面に押し付けるように押さえると、また醜く鳴く。鳥の中では強者で脅威を奮っていても、人に害を与える奴でも、こうしていると哀れに思えてくる。バタバタと動く翼は、肘を使って押さえた。
「悪く思うな……」
 呟いて短剣を持ちかえる。
 光る刃を動く首筋に当てて、薙いだ。
 血が出るかと、右手で首の辺りを覆うが何もない。
 不思議に思って離すと何かが勢い良く出てきた。
「うわ!」
 両手で顔を防ぐ。
 傷から出てきたのは血じゃない。薄緑の煙だった。
 慌てて後退するが、少し吸ってしまい、むせた。やっと煙がなくなった辺りで左腕に巻いてあった布を取り、口布代わりに当てる。
 今まで獣狩りをしてきてこんな事は初めてだが、煙に害がある可能性があった。村中に広がる前に止めなければならない。
「……このっ!」
 煙の中に突っ込んで鷲の遺骸を捜す。キラリ、と何かが光った。
 近付くとそれは自分の短剣で、その近くにいると思っていた鷲は飛び散った羽根以外見つからない。這って煙から出たのかと思ったが、地面にそんな跡はなかった。
 とりあえずこの中から出ないといけないなと思ったとき、上から何かが落ちてくる。
 茶褐色の羽根だった。
 上を見上げた。そこだけ煙が晴れていて、中央にはあの大鷲がいる。
 そいつは鳥なのに、にやぁ、と狂気じみたように笑った気がした。
 ───やられた。
 そう思った時には遅かった。
 指先にピリ、と痛みを感じた。それはどんどん昇ってきて腕を支配する。足先の痛みも同じく、身体を昇ってきてとうとうオレは倒れた。
 意識はあるのに、指一本動かない。 助けを呼ぼうとしても意味不明な言葉を残すだけだ。
 さぁ……と風が優しげに吹いた。
 風は煙を巻き込み、上へ上へと昇った。
 鷲はそれに包まれ、姿を消した。
 ロウの耳に、はは、ははは……と、知らない笑い声だけが聞こえた。

 

 

 あれからレリックは一度も止まらず、砂漠を一直線に歩いていた。
 上からは陽がこれでもかというくらい当たっていて、とても暑い。
 横のクロムは日除けと砂除けの布を巻いている。その所為で布の中で熱気がこもり、息を荒くしていた。 レリックは身体中をローブで覆い、さらにはフードを被って顔を隠している。クロムよりも暑そうな格好で涼しい顏をしたままだ。逆に見ている方が暑くなってくる。
 そのレリックがふと、歩みを止めた。
「どうした」
「来るぞ」
「ああん?」
 クロムが怪訝そうな声を上げたと同時に数メートル先の砂が三ヵ所、盛り上がった。クロムの視線の先がレリックからそれに変わり、クロムの表情が変わると、砂が破裂する。
「……獣!」
 そいつは蒼い針を持った『ハームニードル』と呼ばれるネズミ属性の獣だった。ネズミの仲間とは言うが、大きさから見た目まで、全く似ていない。それに獣の中では中型に分類される大きさだ。クロムが腰から剣を抜いた。そして身構えるとレリックの左腕が前に来てそれを遮る。
「おい、何で」
「動くな」
 レリックが語尾を強くした。
 動くな、とは言われても、獣はもうすぐそこまで来ている。応戦しなきゃ、やられるだけだ。けれどレリックは腕を降ろさない。何か考えがあるんだろうか、とクロムは剣をしまった。
 チチチチチ、と音がする。見た目は違うのに鳴き声だけはネズミらしい。鳴く度に横に伸びた髭が小刻みに動いている。四本足の全てには身体に生えた針と同じく鋭い爪がついていた。
 と、一匹が飛び掛かってきた。
 クロムは身構えるが、レリックは微動だにしない。
 次の瞬間、ジュ、と水が蒸発するような音が聞こえて、空中でその獣は砂のようにサラサラと消えていった。
「なんだ、こりゃあ……」
 その間にも二匹が同じように飛び掛かり、同じように消えていった。
 砂のように消えたかと思っていると青い霧のようになり、レリックとクロムの二人を取り囲んだ。ただ、何故か円形をとるようにして、それ以上近付いてはこない。一体何なんだ、と問う前にレリックは答えた。
「防護壁だ」
「ぼ?」
「魔力を感じたから先に張っておいた」
 淡々と言うと右手を前に出す。親指と人差し指で何かを掴むような仕草をすると、横へはらう。
 そして霧は晴れていた。
「『毒霧精製』か。念が入ってると褒めるべきなのか……」
「は?」
「クロム。あんたの勘は当たっていたというわけだ」
「じゃあ、やっぱあの村の……」
「魔法が関係しているな。それもこうしてわざわざ足止めしようとしてきた。助っ人を呼びに行ったのがばれているんだろう」
「ちょっと待て、ばれたってことは、やべぇんじゃねぇか!?」
「ああ、村人どころかあんたの仲間もな」
「急がねぇと!」
 クロムが血相を変えて走り出す。額から汗が伝うのを腕で適当に拭い、砂に足を取られつつ。そんなクロムを見てレリックはそっと、歩き易いように風魔法を応用して砂をはらって歩けるように作った、補助魔法をかけてやった。クロムはそれに気がついているのか、いないのか。恐らく後者だろう。
 レリックに向かってこう言ったのだから。
「なぁ、ほうきか何かで一気にビューっと行けないのか!?」
 ───魔法使いは箒で飛んで移動すると言うのが一般常識なのだろうか。
 昔、同じような質問を誰かにされた気がする……。
「私が、箒に、乗るように、見えるか……?」
「…………………いや……見えねぇ……」
 途切れ途切れにした質問の分かりきった答えに、少し頭を抱えたくなった。

 

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