鈍色の建物の奥底で場違いな轟音が響く。劈くようなそれは、壁に反響してさらに威力を増していた。

 

File 2 :[遺跡調査の名の下に]-07

 

 舞い上がる土煙。閉鎖的な空間では空気の逃げ場など無いに等しく、土煙も立ち上がっては行き場をなくして中を漂う。
「……外したか」
 中でゲホッと咳き込む声を聞き、土煙を上げた張本人が呟く。先ほどまで紳士的(と、言っていいものだろうか)な態度をとっていたはずなのに。
「んな簡単に当たるかよ、ノロマが」
 対し、挑発してかかるのはケイルだ。こちらはこちらで警戒態勢をとり、どこか殺気立っていた。
「まあ、こいつは別だがな」
 ケイルが片手でリーザスの首根っこを掴んで持ち上げた。掴まれている本人は全く力が入っておらず、だらーんと手足をぶら下げている。
 実は先ほど攻撃を食らう直前、ケイルがとっさにリーザスを横へ突き飛ばし回避させたのだ。しかしリーザスは受け身を取り損ねて壁に後頭部を思いきりぶつけて失神。ぶっちゃけた話、半分ケイルが気絶させたようなものである。
「気を失ってるじゃないか。酷いものだねえ」
「テメェが言えた台詞じゃねえだろ」
 とりあえず気絶中のリーザスを引きずって近くの壁に寄りかからせる。その間もケイルは相手から視線を逸らさずにいたせいか、またもゴンッ、と壁に頭をぶつけ、そのままずるずると地面へと転がっていた。ちなみにぶつけられた本人は若干濁音まじりに唸っている。
「僕が言えた台詞じゃない? なんだい、それは」
「いきなり仕掛けやがって。普通に殺る気だった癖に」
 ケイルが睨みつけてやれば相手は「おー、怖い怖い」と言いながら、おどけたように肩をすくめてみせる。
「なんの為に手の込んだ真似したのか、全部吐いてもらうからな」
「ふうん。彼に攻撃した事を怒ってるんだ」
「はあ? 俺はただ、意味わかんねえことに巻き込まれて胸糞悪ィだけだ」
 手をバキバキと鳴らし犬歯を剥き出して笑う。だが、笑っているのは口元だけで目は相手を射殺すように睨みつけている。対する相手の方は笑っているものの、纏う雰囲気が完全に変わってしまっていた。
「この方が、かえって都合良いけどな」
 くくく、と普段ならば決して上げないような笑い声を上げるケイル。さすがに不審に思ったジェイドが眉を歪めて問い返した。
「何が?」
「俺達以外に起きてる奴はいねえ。遠慮しねえで済むって事だ」
「へえ。一応周りに気を使ってたんだ。君なら人目も気にしないで暴れるかと思ってたけど。彼に見られる事を良しとしてなかったって訳? で、都合良く気絶してくれたので遠慮なしでかかる、と」
 ふむふむ、と自らの推測に納得しながら一人ごちる。と思えばうーんと唸り、顎に手を当て固まった。
「全力でかかれば僕に勝てると思ってる?」
 ジェイドが目を閉じ、ふっと笑って舌なめずりをした。その間からは普通の人間にしては長過ぎる鋭い犬歯が覗く。次いで目を見開いた時には、灰がかった緑は赤へと変わっていた。
「一週間だっけ? 『P.M.E.R.』とかいう所に居着いてから。あっという間に飼い馴らされた奴が、よくも舐めた口をきいてくれたもんだね」
「おいおい、最初と随分態度が違うな。相手を不快にさせる言葉遣いは控えるべき、とか言ってたのはテメェだろ」
「それはそれ、これはこれ。大体、最初に突っかかってきたのは君だろ。……ああ、劣等種だから頭も口も悪いのか」
 次の瞬間、ジェイドの顔を何かが掠った。頬に伝うものを感じて手を伸ばすと指先に血がついており、眉をしかめながら舐めとっていると、ケイルが鼻で笑う。その手の中で鉄骨から剥がれたらしい錆びた小さな鉄片がいくつか跳ねている事からするに、それを投げつけたらしい。
「劣等種に先手打たれた気分はどうだ」
「怒った?」
「安い挑発してんじゃねえ。名前言ってみせた事と言い、随分と知れてるな、俺は」
「怒ったんだね、はいはい。じゃあ呼び方を変えるよ。飼い犬でいい?」
 子供をあしらうかのように軽く返事をして済ませ、渋々と言った様子で血を舐めとり終えると頭を掻く。そんなジェイドの少し怠そうな仕草がまた苛つくらしい。ケイルが若干口元を引きつらせている。
「飼い犬だあ?」
「だって飼われてるじゃん、『P.M.E.R.』に。衣食住してるんだから」
 随分口調が砕けたなと思うと同時に苛立つケイル。衣食住しているのは本当なので否定も出来ない。
 ───まずい、挑発に乗っちまってる。
 ふと気づいて落ち着こうと息を吐き出す。しかし今更な気もする。
「……まあ、御託はいい」
「逸らしたね。今、絶対に反論できないから話を逸らしたね」
「五月蝿ぇよ、逸らしまくってた奴が言うな」
 一息吐いてから目を閉じ、ホルスターへと手を伸ばす。得物を引き抜いては再び一息ついてゆっくりを目を見開く───その目は金に光っていた。

 

「なんでこうなるのー!? いやぁぁぁぁぁぁ!!」
 どこか幼い声色の叫び声をあげたのは先程、遺跡前で準備体操をしていた黒い影。小柄なその影は時を遅くして同じ遺跡内に入っていた……のだが運悪く防犯ロボットに追われている真っ最中であった。影のように見える長く黒いコートをたなびかせ、時折後ろを振り返りながら狭い通路を脱兎のごとく走り抜ける。
「気色悪い気色悪い気色悪いぃぃ! いくら防犯でも多過ぎでしょバカぁー! うわぁぁぁぁん!」
 しかし入ってくる前の余裕そうな様子とは違い、半泣きだった。
「ここに反応があったのに! うぅ〜、暗いの好きな陰険男めー!」
 誰がいる訳でもないのにそう叫ぶ。
 しばらく「う〜」と唸っていたが、走りながら装着していたホルスターから2丁の拳銃を引き抜く。
「いいやもう、撃っちゃえ! ちょーっと弾もったいないけど、背に腹は代えられないしっ!」
 両手を構えたままくるりと後ろを振り返ると、ロボット集団へ向けて引き金を引いた。
「さぁーてっ、ばんばんいっちゃうよ! あたしを追っかけてくれた罪は重いんだから!」
 宣言しつつそのまま連射を続けた。相当連射性能に優れているのか、間髪入れずにロボットの脆い継ぎ目部分やカメラアイへと銃弾が吸い込まれていく。弾丸の切れた両手の拳銃をホルスターへと収めると代わりに、コートに隠れていた腰部分から先程の2丁とは別のマシンガンを取り出した。
「おまけで追加っ!」
 バラララララ、という断続的な音と金属のボディに当たって弾ける音が響く。ボディを揺らしていた一台のロボットが撃たれた衝撃に耐えきれなくなって崩れ落ちると、後続のロボットが次々と巻き込まれて足止めを食らった。
「やっぱ無人だから、単純な行動しか出来ない訳ね! あたしの読みは大当たりっ!」
 撃ち続けながら後退し距離を離していく。楽勝楽勝と上機嫌に呟きながらロボットを撃退させていた彼女だったが、背後からバタンと音が聞こえてくる。それに反応して後ろを振り向くと、先程までいなかったはずの───恐らくは壁に格納されて控えていたであろう───ロボットが現れていた。しかも侵入者をより確実に捕獲する為にだろうか。型も彼女を追いかけていた防犯ロボットとは違い、人型に近く、動きもスムーズだ。
 ずっと少女を追いかけていたはずのロボット達が止まり、思わず「え」と漏らしながら彼女も後退していた足を止める。止まる際に靴底に残っていた砂が擦れて音を立てた。その音に反応し、先程までキョロキョロと周りを見渡すような動きをしていた人型ロボットが急にこちらを向いた。
 見られて反射的に固まるが、黒い、カメラアイに当たるであろう場所から二つの赤い光が見える。少女を捕捉し、規則的に点滅すると片腕を伸ばしてきた。そのまま指先が光ったかと思うと機械音と主に目映い一筋の閃光が走る。足下を狙ったそれを反射的に横跳びで避けると、地面には焼けこげた跡が残り、煙が吹き上がっていた。
「レ、レーザー!? そんなのあり!? 対侵入者用にしても威力強すぎない!?」
[侵入者には退去を命じます 警告 これより先 侵入不可]
「そんな! この先に用があるんだってば!」
 そう言って一歩踏み出すと、ロボットの顔に当たる部分がキュ、と瞬時に動いて少女の足下を見る。それにびくりと身体を震わせるとロボットが前に向き直り、スピーカーからは別の内容が流れ始めた。
[警戒レベルを3へ移行 全システム 排除モードへと移行してください 侵入者は排除 排除 排除…]
「なんか物騒なこと言ってるー!」
 規則的に排除と流れだした音声に心臓を掴まれたかのような気持ちになりながらも、打開策はないかときょろきょろと辺りを見回す。その目に消火器が映るとこれだ!と言わんばかりに大慌てで近づき手に取り、手順通りに栓を引き抜きホースをロボットに向かって構えると思い切りレバーを握る。が、しかし。
「うっそでしょ!? どうして出ないの!?」
 握力の問題か?最初はそう思ったがレバーは異常に軽く、握りしめる度にカコカコと虚しい音が響く───壊れてる!最悪だ!と顔を青ざめさせていると一歩、また一歩と獲物を追いつめるかのごとくロボットが近づいてくる。最早ここまでか。そんな諦めの言葉が脳裏をよぎるが、先程の『排除』と言う言葉からしてただでは済むまい。ならばいっそのこと吉と出るか凶と出るか───玉砕覚悟で! 持っていた消火器を振り回し、遠心力を使って思い切りロボットめがけて投げつける。
「あーたーれーえぇぇぇ!」
 消火器はそのまま真っ直ぐにロボットの方へと飛んでいき、大きい金属音と共にカメラアイへと当たった……が、そのまま滑り落ち、ゴンッゴロゴロゴロ……と床を転がったのである。ロボットの方はびくともしておらず、少女は固まり、双方とも同時に転がっていく消火器を目で追った。
 一拍ほど置いてロボットの方からチチチチ、と短い電子音が聞こえ始めたかと思うと次の瞬間、あの指先から再びレーザーが飛び出した。消火器へと向かって。
 ───あ。
 バシュ!と空気が抜ける様な音。同時にレーザー攻撃を受けた消火器からは大量の白煙が吹き出したのである。
 それを見てとっさに鼻と口を手で覆い、思い切って白煙内部へと飛び込みロボットの脇を一気に駆け抜ける。少しばかり予定とは違ったが目くらましにはちょうどいい。白煙内部では先程のロボットが予想外の出来事に対応出来ずに、動作音を立てながら首に当たる部分をクルクルとあっちこっちに動かしているようだ。
 少女も今のうちにロボットのカメラアイの届かない所へ逃げようと勢いを止めずに走り続けた。こんなロボットとまともにやりあっていたら、とてもじゃないが生きて帰れる気がしない。しかし通路は逃げ込むような場所も無くひたすら一本道。さてどうやって逃げるか、このまま逃げ切れるのか。
 進んでいくと数メートル先に少し小さいが取っ手のついた扉のようなものが通路脇に備え付けられている。部屋の扉にしてはなにやらおかしいが。と、思いながら近づくと書いてあるのは『ダストシュート』の文字である。
「ゴミ出し用の扉だったかー……」
 てっきり脱出用の緊急ハッチか何かだと思ったけど。期待外れな文字にがっくりと項垂れる少女の耳に、カション、と独特な音が届く。それが連続的になったところで音源の方を見ると先程のロボットが復活したようで走って近づいてきていた。距離こそまだ離れてはいるが、悠長に過ごしていればすぐに詰められるだろう。ひぇっ、と声を漏らしてまだ先の見えない廊下を見やり、後方から迫ってくるロボットを見やる。
 正直この廊下の先はどうなっているのか全く分からない。この建物に入ってから二、三度階段を下りはしたがほぼ同じ作り。めぼしい特徴も建物内の地図も、部屋の案内標記もなく、施設としての建設目的も目星がつかず。はっきり言って情報が何も無いのだ。恐らくまだ下へ続いている、とは思われるが……いきなり行き止まりになる可能性だってある。このまま奥へと逃げ続けるか、それとも。思いのほかロボットの移動速度は速い。もう十メートルかそこらまで迫っていた。
 ───吉と出るか凶と出るか。置かれている状況を判断して、少女は一瞬迷いはしたがその小柄な身体を例の『ダストシュート』へと滑り込ませた。

 

 火薬の臭いが鼻をつく。自らの手の中に収まっている鈍色の銃の先からは僅かな煙が上がっているが、肝心の弾丸は狙いを外れていた。まあそもそも最初から当たるとは思っていない。視線の先にはくつくつと笑う紫髪の男。実は先程から何発か撃っているのだが、さらりと最小限の動きで銃弾をかわしては小馬鹿にするように笑い続けている。
「ねえ。それ、意味がないことくらい最初からわかってるよねぇ?」
 更に挑発するように言葉を紡ぎ、かかってこいと言わんばかりに掌を上に向けてはちょいちょいと指先を動かす。チと舌打ちをして銃をホルスターに収めると間髪入れずに距離を詰めた。
 普通の人間ならばあり得ない速度と脚力なのだが、それを指摘するような奴はここにはいない。
 挑発した男も同時に跳び上がり、自らの頭の遥か上にあったはずの鉄骨へと着地。それを追う為に勢いを殺さず一度壁を蹴ってさらに加速。眼前に迫った紫髪の男はす、と小馬鹿にしていた表情を一変し真顔になると、放たれた右の拳を同じく右手で軽くいなす。そのまま右側に回り込んだかと思えば同時に抜き手を迷いなく顔へと向ける。
 目を狙われたことがわかり顔を反らして避けると、頬を掠めたようで一筋の血の跡が残る。
「さっきのし・か・え・し」
 目を細め、ニィと口の端を吊り上げて笑う男。場の空気に似合わない少し甘ったるい声にゾワリと寒気がした。小声で「気色悪ぃ」と毒づきながら鉄骨へ手を着いて土台に、相手の足下を掬うように蹴りを放つが、ひょい、と跳ねて軽く避けられ、眉間に皺が寄るのがわかる。それが面白かったようで少し離れた位置に着地した相手はケタケタと笑いながら更に言葉を続けた。
「ほーら、わんちゃん。どうしたの? 獲物は近いよ? 目の前にいるのに狩れないなんて勘が鈍った? 可哀想にねぇ。まぁ、獲物になってやる義理もないけど」
 わざと煽るように言葉を紡ぎだす相手は俺の事を劣等種と言っていた。最初から自分より劣っている、と見下しているのだ。何を根拠に。馬鹿馬鹿しい。そうは思うが、こちらとしてもその考えを教えてやる義理もなかった。見栄をはっていると思われてさらに苛つく言葉を吐きかけられるのがオチだ。代わりにこちらも挑発してやることにする。
「勘が鈍っただぁ? こんなもん運動にもなりゃしねえ。ずっと黙ってたお前がどう出るか見たかったから泳がせてやったんだっての、馬ぁー鹿」
 ついでに親指を立てて首を切る動作をし、下に向けてやる。
「へえ、気づいてたんだ? いつから?」
「あの街にいた時点で気配隠しもしてなかっただろうが。ダダ漏れだ」
「意外〜、何も反応しないから気づいてないものだと」
 ケタケタと笑いはしなくなったが、今度は口元に手を当てて戯けるような仕草をする。
「はぁ〜……あのおっさん、お前の関係者か? それともお前の変装か」
「あ、そこはわかってないわけ? ぜーんぜん、知らない人。使うのに都合の良さそうな、ね」
「初対面、しかもお前と同じ気配しかしねぇのに比べられる訳ねぇだろ」
「ま、それもそうか。『別人かもしれない』って考えが出ただけマシだね。及第点かな。劣等種にしては」
 やれやれ、と両手を上げて首を左右に振り、呆れたような声を出してはそう紡ぐ。なんでいちいち腹立つことしかしねぇんだコイツは。相手を煽り倒すのに能力偏ってんのか。
 ぎゅっと眉間に皺が寄り、目頭にも若干の痛みを感じて親指と人指し指で少し揉んでやる。少し、久しぶりに本領を出す為の反動なのか。地味に続く頭の痛みに気を取られそうになる。常に一人で行動している時は良かった。荒野を渡り歩くのに人目を気にする必要はほぼなく、獣が襲いかかってくれば力を加えて対応してやるだけのこと。その時に“少しばかり変化する見た目”を見る奴もいない。何の躊躇いも無しに本気を出せていた。
 が、最近は例の場所に関わったせいで渡り歩く事もなかったため、使う機会も無く。
 ……勘が鈍った、とは思いたくないのだが。まさか一週間かそこら程度で劣化するもんでもなし、だったら使えない奴なんてごまんといるだろう。頭を振って先程の相手の言葉を追い払う。
「劣等種、劣等種って五月蝿ぇな、そういうテメェはお貴族様気取りかよ? 自分のこと高貴な血とか言い出す奴初めて見たわ、さっむ」
「君もなかなか容赦なくなってきたね」
 わざと両腕をさするようにして言ってやれば、初めて相手が苦い顔をした。ざまあみろ。
「でもまぁ、劣ってる事は確かだし?」
「まだ言うか」
「だってさぁ」
 そう言いながらニヤリと笑う相手に違和感を覚える───瞬間、左肩に衝撃が走り、遅れて痛みがやってくる。思わず右手で押さえて振り返れば、目の前に居たはずの男がそこに。
「気づいてなかったでしょ? さっきから後ろにいること」
 そのまま眼前に靴の先が迫ってくるのをガードするが反動は殺しきれない。腕に当たった勢いは相当なもので、乗っていたはずの鉄骨から蹴り落とされた。身体を捻って体勢を整え足から着地。見上げると、相手は同じ場所に立ったまま。てっきり追撃がくるかと思っていたが。
 左肩がズキズキと痛み、横目で確認すればジャケットごと切り裂かれていた。幸いなことに動かせないわけではない───恐らく相手も加減したのだ。使ったであろう血が付いたままのナイフを右手に持ってこちらを見下ろしていた。赤く染まった瞳孔は少し細められながらもギラギラと光り、にやけていた口元はへの字に曲がっている。
「君、鼻がいいんじゃないの? 嗅ぎ取れなかったの?」
「滅茶苦茶寒いこと言う奴がいたもんでな。んなもん集中も切れるわ」
「言い訳とかダサすぎない? もう少し気概のある奴かと思ってたけど違ったね。ほら、これあげる」
 右手を振って飛ばしてきたのはナイフだった。御丁寧に血ノリ付きのままで。
「本当はさぁ、もう少し最初から苦戦する予定だったんだよね。その時の為に少し血を貰っておこうかな、と思ったんだけど。止めとく、萎えた」
「うわ、気色悪ィ」
 相手の言葉に返しながらナイフの血を払い、そこらに落ちていた原型のわからないボロ布で拭う。血、なんて同業者との応戦で流血沙汰になることもあるし見慣れた物ではある。今更見たからと言って貧血を起こすほど柔な神経をしているつもりもない、が、処理をしているのは先程の言葉にゾワリと寒気が走ったためだ。貰うと言うのはつまり───相手が一体なんなのか。昔聞いた話と照らし合わせて、言葉の意味を素直に拾うならば間違いないだろう。
「少し傷つけたぐらいでもう勝ったつもりか、コウモリ野郎……あー、違うか? 蚊の方が合ってるか、耳元でプンプン五月蝿ぇし」
「は?」
 ビキリ、と音が聞こえたような気がする。
「何? さっきの言葉でこっちが加減してやってるのわからなかったの?」
 完全に瞳孔が開ききった相手を見て、は、と鼻で笑ってついでに中指を立ててやる。下品で安い挑発ではあるが十二分に利いたらしい。自由落下にかかる時間ですら惜しかったのか鉄骨を蹴り付け、勢いをつけてこちらへと落ちてきていた。目の前に迫ってきた相手は迷わずに目を狙ってくるが少し頭を反らして避ける。一度仕掛けてきたよりも大雑把で殺気の強い気配ならばいくらでも読める。避けると同時に相手の右腕を掴んでギリ、と爪を立ててやれば振り払われた。少し距離を取ってこちらを睨みつけてくるのを笑ってやれば顔をしかめて吠えてくる。
「所かまわず噛み付くような駄犬は殺処分行きだからな」
「言ってろ、その前に虫らしく叩いて潰してやるからよ」
 お互いに神経を逆撫でするように挑発合戦が続く。睨みつけながら笑ってやれば興奮からか、久々に本気を出すせいか、はたまた両方か───目が熱い。爪と、牙がどこかむず痒く、ぎりぎりと音を立てている感覚がした───ああ、大丈夫だ。この前のように正気を失いそうにはなっていない。自分の状態の把握は出来ている。だから思い切り引きずり倒してやれ。遠慮はいらない、相手はかなり丈夫そうだ───そのまま、勢い良く相手に向かっていった。

 

 ───なんか、色々痛い。さっきから背中はごつごつしてるし、どこかで捻ったのか足も微妙に痛いし、頭もガンガンする。おかしいな。オレ、仕事してなかったっけ? ほらいつもどおりに修理の依頼がきて、一段落して休憩してたら、アクセスの奴が来て。それから社長の所に行って。待て、そもそもなんで社長の所に行った? あー、そうかアクセスの奴が呼んでるとか言ってて。で、行ったら行ったでなんかとんでもない事言われたような。なんだっけ。…………………あ!
「あぁ!? ……っっっうぁ、づぁっ……いっでぇ!?」
 半覚醒状態のままビビって起き上がればビキリ、と痛みが走る。後頭部からだ。両手で頭を抱えるが和らぐ気配もなく、そっと痛みのある箇所に手を伸ばしてみればそりゃまあ見事なたんこぶが出来ていた。なんで?
 ちょい待ち、頑張って思い出そう。ええと? 社長に言われて……ああ、そうだ、テンション下がりまくりの依頼受けたんだったよ。でも待った、地面に転がる必要性のある依頼だったっけ? んなわけない、違う違う。ダクレイさんを探して奥の部屋までいったは良いが、そこから……何? なんか、衝撃食らったような。
 こぶが出来ている箇所を撫でさすりながら壁へ寄りかかって座る。辺りを見回すが特に変わった様子も無く、この部屋に入ってきた時とほぼ変わらない状態と言ってもいい。謎の扉に獣の死骸、剥き出しの鉄骨に土砂の山というおおよそ研究施設とは言いがたい光景。壁に手をつきながらゆっくりと立ち上がり、もう一度見回す。
 あいつもどこに行ったんだ? それに、そうだ。変な事言う奴が出てきたんだっけ。
 若干の立ちくらみを覚えながらも壁沿いに進んでどこか別の部屋へと繋がる扉が無いか探す。ダクレイさんと言い、姿が見当たらない以上別の部屋に行っている可能性もある。さっきの獣の死骸が出てきた部屋はパス。どう考えてもずっと前から電力供給も切れてロックがかかってたし、なにより死骸で入り口が塞がってた以上、開けて入ったとは考えにくい。操作パネルや配電盤が無いか探すが見当たらない。
 通ってきた辺りまではまだ電気設備が生きていたんだろう。この部屋にあるのはそれとは全く違う薄ぼんやりとした光で、恐らく緊急時の予備電源で動いてる明かりだ。上を見上げれば備え付けてある大型の照明の間にボツボツと存在する、何とも頼りない裸の電球が光っている。その予備電源が動く音なのかわからないが、重機のような重低音、それから妙な金属音も鳴り響いている。
 シェルター? 獣の死骸があったことを考えると実験施設か? もしくは武器用の威力実験施設。いくつか考えられる候補を並べるがいまいちピンと来ない。防犯ロボットに追いかけられていたからきちんと調べられていない、ということを抜きにしても他の情報が全くと言っていいほど無いのだ。普通は何かしらの部屋が点在するはず。それも長い長い廊下が続くくらいで『扉自体がなかった』。かと思えば、たまたま見つかったのがしっかりとした壁に隠されていた細い通路とこの部屋。きな臭い、というか。憶測でしかないが『表沙汰に出来ない実験をしていたのを証拠隠滅、隠しきれない部分はその上に新たに建物を建て上書きしました』みたいな。
 これ、やっぱ面倒な案件に首突っ込んだかも。
 うげぇ、と声が出たのは仕方ないと思う。今まで『P.M.E.R.』で調べた事があるものと言えば、戦後に打ち捨てられた施設とか、戦時中にやむなく研究を止めてしまったらしき施設周囲の軽い事前調査がメイン。もしくは『調査局』主導での調査の人手不足による手伝い要請だとか。一応、危険度合いの低そうな場所なんかが多かったんである。なにせ会社として成立してるとは言っても『P.M.E.R.』メインメンバーが二十歳以下。年齢を考慮しての依頼が多かったのだ。その辺は口にはしないものの、アクセスも少しばかり躍起になってる部分はあるらしく「年齢なんて関係ねぇ!」と言わんばかりに必要知識を詰め込むのに余念がない。正直な所、知識面で見ればあいつは優秀だと思う。手伝いに行った時は話を振られれば全て答えていたし。一見すると無頓着そうに見えるのに幅が効く奴である。
 しかし、ある意味、今回の件はオレで良かったのかもしれない。こんなヤバそうな案件だとわかった時点で帰りたい気分でいっぱいだからだ。いや、まあ、感情面が先行してて受けた時点で嫌ではあったけど。多分アクセスの奴なら躍起になっているのが手伝って深追いしてる。クールに見えて熱い男……ともちょっと違うか。熱中してると、あの鉄面皮のままでとたまにとんでもないことをやらかすのだ。オレは見たことあるぞ。好奇心のせいで威力実験しようとして、危うく部屋で調合中の発破を暴発させかけたことがあったのを。慌てて近くにあったバケツで水ぶっかけて事なきを得たけど。今思うと、あれ、多分、ヤバイことになりかねないのをわかってて最初からバケツに水を準備してたなあいつ……いやいや違う違う違う、同僚のヤバイ一面を思い出してる場合か。
 スゥ、と一息ついてまた壁沿いに歩き出す。見える範囲は一通り見てみたが、やはりあの自分達が通ってきた通路と獣の死骸が出てきた扉しかない。後ろを振り返れば土砂の山。気づかなかったが、よく見てみれば土砂の上に点々と足跡がついている。あー、なるほど、そこ越えて行ったわけね。仕方ない。
 足を取られ、傾斜が急になるのに合わせて手をついて土砂の上を登る。するとさっきから聞こえていた金属音が近くなり、混じって別の音も聞こえる。なんとも表現しようがない鈍い音。それを聞きながら丁度上まで登りきり、目の前に広がった光景に。
「……は?」
 オレはそれ以上の反応が出来なかった。

 

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