第2章《獣狩り》

 

11.【温もり】

 

「さて、話を進める事になったのかな?」
 座り込む面々の元へと近づいて来たのはレリック。それは軽く、どこかおどけたような緊迫感をものともしない口調であり、先程、長の相手をしていた時とはまるで別人だ。
 声をかけて来たレリックを毒使いとクロムは同時に見た。そのまま互いに顔を見合わせると、毒使いは小さくではあったが頷き、クロムはそれを見てニッと笑うと「おう」と軽く返事を返す。
 髪の合間から覗く毒使いの顔色を見やる。そのまましゃがみ込み目線を合わせた。
「毒気は抜けたか」
「おかげさまで」
「随分素直だな。元の性格が出てきたか?」
 ため息のような笑いを漏らしながら手を離す。毒使いがそれに対して同じように笑ってやると、ゆっくりと話しだした。
「霞がかってたのが晴れた、と言ったら良いんだろうか。どこからが自分の本心なのか、良く、分からないが……」
「あまり無理に意識を引き出そうとするなよ? 相当強力なのがかかってる。それに、まだどう出るか分からないからな」
 地に伏せさせたまま放置してきた長をちらりと見る。そんな二人のやりとりを見ていたクロムが眉根を寄せた。
「どういうこった?」
「分かるとは思うが、急に落ち着いたり暴れてみたりと、毒使いの様子が二転、三転しただろう?」
「あ、ああ。確かに」
「あの症状は禁術級の魔法をかけられて、操られていた部分。僅かに残っていた自分自身の意識。それらが入り乱れた結果だ。……吸い出して手伝ってやるから、動くなよ?」
 言いながら右手に淡い青い光を宿し、毒使いの前髪をかきあげてやりながら額へと手を当てた。一度強く光ったそれは、ゆっくりと点滅を繰り替えしている。
「最も、それも私の魔力片に当てられて、徐々に解けかかってきたようだがな」
 そう言って額から離した掌からは、僅かに紫煙が上がっている。何かが燃えている訳ではないのに上がり続けるそれは、徐々に細くなっていった。
「火のない所に煙は立たず、か。随分と性格の悪い」
 自らの右手を見つめながら呟くレリックの言葉についていけず、クロムは首を傾げるばかりだ。それに苦笑して悪い、と一言言うと左手を上げて説明を始めた。
「魔法にはな、使ってはいけないとされているものがいくつかあるんだ。一つ、いかなる生命も侵犯してはならぬ。二つ、他の生命を操ってはならぬ。三つ、自らの生命を脅かす事なかれ。……要は、他者、多生物、そして自分。ありとあらゆる命を粗末にするような、危険な魔法のことを指す。その命に関わる危険な魔法というものに分類されるのが禁術と言われる」
 説明しながら立てた三つ指を戻し、人差し指で地面に円を描く。
「使ってはいけない理由は単純だ。世の中は魔力……ありとあらゆる生命力が循環することによって成り立っていると考えられている。禁術を使った場合、そのサイクルを崩して他にも影響を与えることになりかねないからだ」
 描いていた円の途中に罰印を付け、延長線上の線を消していく。ものの数秒で歪な形となってしまった円は、レリックが口にした説明をそのまま表しているようだった。
「そして、人としての倫理に反するという点だな。これは人が定めた法だからこそ言えることではあるが」
 右手から上がっていた煙が完全に消えると、再度毒使いの額に手を当てる。クロムはそれを、何をしているのだろうかと目で追っていた。
「魔法には古来より受け継がれて来たもの、個人によって生み出されたものなど、様々なものがあり、正確な数は把握されてない。禁術でさえ何千種類もあると言われている。毒使いがかけられていたのは、中でも相当悪質な魔法だ。僅かでも正気を保っていたのは運がいい」
「悪質?」
「普通は術者が相手の魔力を押さえ込んで洗脳する場合が多いが……今回の魔法はかけた対象───この場合は毒使いだな。その魔力を食って肥大していき、かつ、徐々に洗脳していくものだ。頭の中に罠を設置されているとか、実体のない寄生虫を飼わされている、とでも言った方が、例えとしてはわかりやすいか?」
 言いながら手を外してみせると、またも煙が上がっている。先程よりも少しばかり色が濃くなっているそれをレリックは睨みつけた。
「この煙が証拠だ。魔力や生命力と言うのは、火に例えられる事があってな。命の火種とも言える魔力を徐々に消して燻らせていき、それに比例して中に設置された魔法が強力になっていく。この魔法を寄生虫と例えるなら、要は食いカスだな。それが外に出て実体化したものがこの煙だよ。放置しておくと悪影響になりかねない為に、吸い出してやっている訳だ」
「な、なんだってそんな、吸い出すとかしないとダメなんだ?」
「思い出そうとしている本来の大事な記憶が、なかなか引き出されてこないからだ。侵入者に荒らされて散らかり放題の部屋で、目的のものがそう簡単に見つかるかどうか、というのと一緒だよ」
「……簡単に言やあ、掃除してるって事か?」
「そういうことだ」
 手を当てるのは三度目だ。ところが少しずつ煙を吸い出している途中でレリックが指先に痛みを感じて眉をしかめる。同時に指の隙間から濃い紫煙が吹き出し、レリックは細長く上がっているそれを素早く左手で捕まえる。そのまま蛇のようにうねりだした煙を力を込めて握りしめると、ギ、と一声上げて霧散し、跡形もなくなってしまった。
「術の本体に近づいた。あとはお前次第だ、毒使い。陣を描いてやるから、引っ張られないように今から集中しろ」
 毒使いは黙って頷くと目を閉じる。レリックはクロムに下がるように言うと、毒使いを囲むように地面に円を描き出す。円形の外に少しの文字を書き、それを囲むようにまた小さな円を描く。
「さて、あとはこれか」
 レリックは自分の右手の先を犬歯で噛み、血をにじませる。そのまま毒使いの頬を支えるようにして顔を上げさせると、額へ人差し指を伸ばす。
 これでは、まるで───
「ちょ、ちょっと待て、レリック! これじゃあまるで、セリアと……」
「そうだ。あの子にかけたものと同系統のものだよ。……かけられている魔法も、な」
 言いながら素早く額に血陣を描き出した。血陣は鼓動を打っているかのように点滅を繰り返し、その存在を主張していた。
「ただし、あの子がかけられたのはまだ初期段階のものだ。こちらは相当広範囲に根をはっている」
 左手に光を灯し、右手で印を組む。そのまま両手を組んで光らせ、祈りを捧げているような格好をとると早口で呪文を紡ぎだす。
「“彼の者は囚われし檻の中。主は見守るだけであろう。捕らえし者は時を待つ。来たるべき時を待つ”」
 組んだ両手が徐々に光を増していく。
「“彼の者は鍵を撃ち放った。捕らえし者は歓喜し、雄叫びを上げるだろう。時が来たと打ち震えるであろう。主はそれを許さぬ。使者であり、死者を選び、断ち切る大鎌を選ぶ”」
 光が増してくると、レリックをとり囲むように風が吹き始めた。同時にレリックが先に描いていた小さな円が青い光を発する。
「“主は選ばれた。我は意志に従い、大鎌を授かりし者。盟約を受け、全てを断ち切る術となろう。終焉を運ぶ死者となろう。雄叫びは途切れる。捕らえし者は地に伏し、血に伏した”」
 毒使いを取り囲んでいた円が、小さな円と同じように青く発光する。毒使いは僅かに顔を歪めたが、それ以上は動かずに目を閉じたままだ。
「“檻に囚われし者よ。脱する時は来た。鍵を滅し、檻を壊し、阻む者はない。纏わされし幻影は切られ、滅びる。全てを振り切り、空を仰ぎ、羽ばたく鳥であれ。汝に解咒の祝福を”」
 そこまで唱えるとレリックの両手と二つの円が鳴動する。同時に毒使いの額に描かれた血陣が盛り上がり破裂し、中から目のない血色の蛇が鎌首をもたげて現れた。額から生えた蛇は、辺りを威嚇するかのように口を開いて牙を見せる。
 蛇を見据えたレリックが組んだまま光を宿していた両手を放すと、蛇はびくりと一瞬だけ身を震わせて固まった。レリックはその隙を見逃さずに蛇の首根っこを右手で掴みにかかる。勢いのままに後ろへと手を引くと、引っ張られた蛇の身体が徐々にその全貌を見せた。
 ずるり、と音を立てて現れた蛇の体色は、血色だと思っていたが尻尾の方にいくに連れて黒くなっている。レリックが右手で掴んだままの蛇を小さな円の中へと叩き付けた。蛇は叩き付けられた衝撃をものともせずに再び鎌首をもたげるが、円形から出ようとした瞬間にレリックの追撃が入る。左手で蛇の胴体を押さえつけ、間髪入れずに魔力をこめていた右手で蛇の頭を潰したのだ。
 ところが右手を退けてみたレリックの目に映ったのは、再生を始めた蛇の頭だった。頭頂部が欠けてはいるが、威嚇の構えで牙を剥きだしている。その様子を見たレリックがチ、と小さな舌打ちをし、言い放った。
「おまけだ。『塵となれ』」
 そのまま左腕に力を込めて胴体を押しつぶすと、蛇は抵抗も出来ずに一瞬にして小さな塵の山となった。
 一連の光景を呆然と見ていたクロム。そんな彼の視線を受けながら少しの苦笑を浮かべ「終わったよ」と振り返ったレリックは、自分で噛み切った右の指先を左手で拭っていた。その手には一つの傷跡すらない。
「どうだ? 文字通り、憑き物は落ちたはずだが」
 レリックが見やる先で苦しそうに呼吸はしているものの、毒使いは楽になった、と小さな声でこぼしていた。返事を聞いてため息をこぼすと、毒使いの背後で影が迫っている。
 毒使いが呼吸を整えながら座り直して後ろへ手をつくと、手首を影に掴まれた。
「き、さま……」
 レリックに止められていたはずの長が、執念からか、力の入らないはずの身体で毒使いの元へ這っていったのだ。
「無駄だ。少しばかり弱まったが、お前にかけた術自体は解けない。……その命、それ以上削らぬほうがいいぞ? きっとまともな死に方をしない」
 言い捨ててレリックが指を鳴らすと、見えない何かに押しつぶされたように長は地面へ押さえつけられた。反動で毒使いの手首を掴んでいた手も外れ、毒使いはそろそろと長から離れていく。そして訝し気に眉をひそめて一言。
「お前、ジグじゃないな」
 毒使いの言葉に長は一度目を見開くと、く、と口元を噛み締める。
「なにを言ってるんだ。エル、俺は俺だよ。お前が知ってる俺さ。この村の長となって」
「違う。魔力片が、おかしい」
 断言すると、長は再び目を見開く。そして倒れ伏したままで大笑いしだしたのだ。
「さすがに気づいたか。それ以上そいつの言葉に耳を傾けるな。紛い物だからな」
 毒使いの隣へとやって来たレリックが、彼に手を貸しながら立ち上がらせる。
「違う、のか? 確信がもてないんだが……」
「いいや、こいつはお前の知っているジグとやらではない。半分は、な。お前の言う事は半分あっている」
「半分だと?」
 立ち上がらせた毒使いを、同じくして近くに立っていたクロムへと預け、レリックは長の後ろに回り込んで二人の方へ向き直った。
「そうだ。悪いな、ジグとやら。少し痛むぞ」
 そのまま長の首元へと手を伸ばして押さえつける。
「『禁忌を犯す術師よ。今しばし、宿主から離れ、現れろ』」
 妙な響きを持った言葉を紡ぐと同時に、レリックが長の後頭部を掌で軽く叩くような仕草をしてみせた。そして掴んだままの後頭部を持ちあげ、二人へと顔を見せつける。
「なっ!?」
「これが、こいつの正体だ」
 驚いて声を上げたクロムと、声こそ上げなかったものの、同じように驚いた顔をした毒使いの目に映ったのは、半分が先程と同じ長。もう半分が火傷を負って崩れたような形となった、まるで別人の顔だった。この光景には二人の背後にいた獣狩り師たちも声を上げざるを得なかった。そのまま震える指先で長を指差すと、やっとのことでクロムが問う。
「な、な……どういう、ことだ……?」
「文字通り、別の人間が寄生してるんだよ。この身体にな。……戻そうか」
 レリックが頭から手を放してやると、苦々し気な顔をしながらも長の顔が元に戻った。地面へと顔がつくと、長は首だけで背後のレリックを振り返って睨みつける。
「お、おい……俺が何年もかけて施してたあれを、あんな詠唱だけで……悪魔と言っても、妙に強力だと思えば……『言霊使い』か……!」
「ああ。何か不都合でも?」
 さらりと返すレリックは目を細め、口元に笑みを浮かべていた。長はそれに苛立ちを覚えて、ますます目つきを険しくする。
「お前のせいで、俺の、俺の計画が」
「丸つぶれとでも言いたいのか? それじゃあ、良い事をしたかもな」
「貴様ぁ……!」
 小馬鹿にしたような笑いを目にして長は暴れ出すが、レリックが先にかけていた魔法によって思うように身体が動かず、地面から離れられないままだ。
 その様子を今度は冷ややかな目で見つめ、レリックは言い放つ。
「禁術を使うという事自体、生き物の理に反している。だが、それだけならまだなんとか許す手もあったかもな。お前はそれとは別に見過ごせない理由がある」
 しゃがみ込んで出来るだけ長と視線の高さを合わせた。長には紫の目に自分の───今の宿主の顔が映るのが見えていたが、それ以上にレリックの瞳孔へ吸い込まれていきそうな不思議な感覚があった。井戸の底を見ているような感覚が一番近い。
「私が言った言葉を覚えているか。お前は幾人もの贄を喰らった、と。これまで、命を奪うような真似を何度してきた? それが見過ごせない理由だ」
「そんなことか。そういう禁術を使ったからな、当たり前だ!」
「誇れる事か。一度、楽に手に入れる感覚を覚えたものは何度でも繰り返す。繰り返していくうちに、それが癖になるんだ。お前はもう危険な領域の一歩手前まで来ている。放っておけば近いうちに自我をなくして凶悪な魔物になりかねない」
「……ハッ。思想詠唱に言霊、魔術……それにその力! お前の方がよっぽど凶悪だ。俺の事を言えたことか、この悪魔が!」
「お前が言えた立場ではないだろう。欲で動く獣以下の大馬鹿者が。記憶が抜け落ちているのも気がつかないようだったしな。この分では、私が始めにわざわざ詠唱せずに魔法を使った理由もわからないだろうな?」
 表情こそ変えはしなかったが、レリックの声には少しの怒りが含まれていた。わざとらしく問う声にさえだ。声を聞いたクロムが肌をつくような冷気を感じて身を震わせる。毒使いも同じように感じ取ったらしく、う、と小さく呻き声を上げていた。
「私の事を『言霊使い』と言ったな? その通り、それが本質系統だ。だからこそ言葉を使ってしまう詠唱魔法は、少々強力になりすぎる傾向がある」
 レリックの言っている事が分からずにクロムがまた「はぁ?」と言い、レリックに声をかけかけるが、見かねた毒使いが横で説明してやる。ここでレリックの話に水を指してしまうのもどうかと思ったのだ。
「……魔法使いにはいくつかの系統が使える者が多い。でも、自分に一番合うものがある。それが本質系統」
「えーっと、つまり?」
「あの魔法使い、確認されてる魔法では、一番古くて強力な『言霊』というやつの使い手だ。とんでもなく強力で……古すぎるし、扱いが難しい能力で、本当なら、もう存在しなくて当たり前だ」
「わざわざ説明を、どうも」
 レリックが毒使いにそう言ってやると、長に向き直って続ける。長はレリックから目を離せずに先程言われた言葉を考えて、思いついた結論にゾッと背筋を凍らせた。彼が顔色を青くさせたのに気がついて、レリックは続けてやる。
「加減してやっていたんだよ。まあ、少々強めのものを使う場合は詠唱したが」
 言ってから、レリックはふと気がついたように空を見上げて片腕を上げた。するとその腕めがけて三羽の小鳥が舞い降りてくる。腕を眼前に来るように持ってくると、それを待っていたかのようにチチ、と鳴き出す。
 続ける小鳥の声が止むと「すまなかったな」と言ってまた腕を上げて空へ放してやった。
「さて、村人の安全は確認した。お前に協力していた数人はまだ気絶したまま。ここまで手を塞がれていては、なす術もないだろう? ……と、忘れていたな」
 続けて左手を地面に置くと、細い光が走りだした。レリックが倒れて気絶したままの数人を見据えると光が枝分かれし、それぞれの元へとたどり着く。そのまま光が地面から生えたかと思うと縄のようになり、倒れていた数人の協力者を縛り上げて身動きを取れなくした。その上で、全員をまとめて縛り上げてやる。光の縄は気絶した数人を離さないとでも言うように光り続け、点滅しては存在を主張していた。
「これで最低限の安全は確保出来たはずだ」
 レリックが長から離れ始めると、地面に横たわったままの長は暴れだした。
「待て! 俺の、俺の話はまだ……!」
「生憎、まだ術をかけようとする輩の話など、聞く耳は持たないよ。性懲りもないな」
 そして指を一つ鳴らすと、喚き続けていた長の口からは声がしなくなった。ぱくぱくと動かしたまま驚きの表情を浮かべてレリックを見ると、相手は肩をすくめている。
「お前の術の効果は恐らく、言葉で相手を惑わせて精神的な揺さぶりをかける事から始まるんだろう。それを分かっていて喋らせるほど私も甘くはない」
 言いながら毒使いとクロムの元へと戻る。同じような顔をしてレリックを見る二人に苦笑してみせて、二人の背中を押しながら他の獣狩り師の元へと誘導していく。
「本題にかかる前に、随分と時間がかかってしまったな」
「俺ぁ、色々と頭が追いつかねぇんだが……なんだってんだ?」
「それもすぐにわかるさ。毒使い、まだ体力は残っているな? お前にしか出来ない事で、喋る以外にもやらなければならないことがある」
 レリックの顔を見て毒使いは少し渋るような表情をしてみせたが、ゆっくりと頷く。
「万全とは言えないが……」
「少しくらいなら回復してやれる。だから協力してくれ。このままセリアの術を解く」
「は……はぁ!? と、解けんのか!? 本当か!? 本当なんだな!?」
 隣でクロムが驚きと喜びが混じったような声を上げる。三人の会話の内容が聞こえていた他の獣狩り師たちまでもその声に驚き、立ち上がりかけた。
「疑わないでくれ。嘘は言ってない。毒使いの術が解かれた以上、彼女の術も早く解かないと、いつ影響があるか分からないからな。済ませるなら早いうちが良い」
 押し続けていた二人の背中から手を離すと、レリックは毒使いと向かい合うように立って、空中で十字を切り出した。そして流れるままに両手で印を組む。
「“彼の者は我が明視において庇護下に置かれた。眠りを妨げる者ではあらず。静寂を妨げる者ではあらず。同じくして平穏を妨げる者でもあらず。御心のままに忠誠を誓った使者である。傷付き、傷付けられた身と心に、厚き癒しを”」
 淡く光った両手を開くと、ふわりといくつもの光の粒が立ち昇る。それらは空中で舞い遊ぶかのように漂っていたかと思うと、毒使いを取り囲む渦となって彼を包んだ。
 その光が徐々に収まったかと思うと、心無しか顔色の良くなった毒使いが立っていた。
「残念だが、回復魔法はあまり得意分野ではなくてな。調子はどうだ?」
「すごいな……あれだけでかなり戻った」
 毒使いは自分の身体を見回す。服とローブに隠れてはいたが、先程までは、獣狩り師たちに足止めを食らった際に負った傷があったのだ。特に腕に刺さった矢による傷が一番深かった。それがすっかり消えている。
 矢───と思い返して、毒使いは気がついた。しゃんとした足取りで獣狩り師の三人の方へ近づいていくと、一瞬だけ警戒態勢をとった三人の前で立ち止まり、少し恐れているような視線を浴びせる三人の顔を順番に見回し始めた。
 そんな彼の様子を見てクロムが何か言いた気に手を伸ばすが、レリックが制し、ちょいちょいと毒使いの方を指差してみせた。
 毒使いは最後にセリアの顔を見ると、少し眉を下げてみせる。そして、そのままの勢いで前へと身体を曲げて───頭を下げたのだ。
「すまなかった」
 まさかそんな言葉が出てくるとは思わずに、聞いた途端にきょとんとしてしまった三人へ追い討ちをかけるように毒使いが言葉を続ける。
「いくら惑わされていたとしても……俺がしたことは、許されない。謝らなければならない、ことだろう。だから……すまない」
 言いづらかったのか、語尾が少しばかり小さくなっていた。おまけに顔を上げる気配がない。そんな毒使いの様子を見て、ぽかんと口をあけていたロウはハッとすると、少し怒っているような表情をしてみせた。
「なんだよ、それ。んなもんで許せると思ってんのか」
「ちょ、ちょっと、ロウ! 待ってよ、この人」
「ガキじゃねえんだ。俺はまだいい。けどよ、こいつをこんな目にあわせて……それなりに落とし前つけなきゃ、許すはずねえだろ」
「おい、落ち着けって!」
「二人は黙ってろ! ……おい、お前」
 ロウが毒使いの前へ来ると、彼の肩を押して顔を上げさせた。視線を合わせ、キッと睨みつけるように見ていると、ロウは勢いのままに喋りだす。
「お前がしっかりしてりゃ、こんなことにならなかったんじゃねぇのか?」
「……だろうな」
「だったら、覚悟出来てんだろうな。……まあ、俺はやられたから応戦したってだけの関わりだし、出血大サービスってやつだ。ケジメつけるにしても、かなり大目に見て一発で済ませてやる。これ以上は譲らねえ」
 そのまま手を上げてくると、両手の指をバキバキと鳴らす。毒使いはすっと目を閉じると姿勢を正してみせた。
 その様子を見て、ロウが鳴らし終わった右手を掲げて勢い良く毒使いに向かって振り上げた。

 キシャア、と不可思議な音が聞こえた。

 頬を掠めた風を感じて目を見開くと、ロウの右腕が自分の右頬の傍にある。殴り掛かって来たのではないのか───そう思って視線をずらすと、ロウが拳を元の位置へ戻す。そのまま手を開くと、中から潰れた気味の悪い黒い虫のようなものが痙攣していた。
 ん、とその手を突き出してくるので両手を差し出すと、その得体の知れないものを渡してくる。
「これは……」
「ほう。まだ懲りてなかったか」
 いつの間にか背後から近づいていたレリックが毒使いの手の中に収まったものを見て言う。それを摘んでみせると、ふっと息をついて塵にしてしまった。
「お前もつくづく災難だな、毒使い。まだ触媒にするつもりで諦めてないようだぞ?」
 後ろへと視線を向けるレリック。つられて後ろを見れば、そこにいるのは長だけだ。
「おかげさまで、外したな」
 悪戯めいた笑みをこぼしてロウを見やるレリック。対し、ロウはブスッとしたままの表情を浮かべて腕組みをしている。両方の様子を見比べて毒使いがぽかんとしていた。
「ああ、そいつのせいで外したよ。一発で済ませるつったから、これで終わりだ」
 ばつが悪いとでも言いた気に視線を逸らし頭をかく。しかし、毒使いの視線を受け続けていることに気づいてむっと表情を歪めると、彼の眼前で指を指してみせた。
「お前もケジメつけろよな。セリアのこと、絶対助けやがれ」
 そのまま毒使いの真横にいるレリックの事も指すと「絶対だぞ!」と乱暴に言い残し、クロムのいる方へと向かう。レリックは苦笑してみせて「分かってるよ」と答えたが、それが聞こえているのかいないのか、ロウは何の反応も見せずに歩いていく。
 未だ呆気にとられたような毒使いの表情を見て、レリックは肩に手をおき、そっと耳打ちしてやった。
「彼らは最初から怒ってなどいないんだよ。それに、クロムが警戒を解いてお前に信頼を見せた時点で、お前の事を敵とは思っていない」
「そんなことで……」
「そんなこと? 大それた事だよ。獣狩り師たちは一族が皆、家族のようなもので結束が強い。そんな部族のリーダー格の者が受け入れたんだ。それを同じ部族の者がないがしろにする訳ないさ」
 ポンポンと肩を叩いてセリアのいる方へと歩いていくレリック。その後ろ姿を見て、彼は考えていた。
 ───そんなにあっさりと信頼して、受け入れるなど。そんなこと、まるで───
「毒使いたちと、同じ……」
 置かれている立場は違う。しかし、その結束の強さは、かつて彼を受け入れた毒使い一族たちと全く同じだと思ったのだ。一族の皆が家族で、辛い運命に翻弄されながらも生きていた彼らと。
 自分たち一族の特性に嘆きながら、生きているその姿。最初はそれを単なる傷の舐め合いでしかないと思っていた。表面上で誤摩化しをきかせて生きている、と。だが、何年も共にした事で分かっていったのだ。同じ宿命の者を励まし、辛くとも生きている彼らは優しかった。そして強かった。知らぬ相手に手をかける彼らだからこそ、優しかったのだ。
 好きでそうしている訳ではない。意志に反して、他の命を奪うことでしか生きていけない。生きる為には否応にも殺すしかない、と。命の重みを知り、逃げようとすれば待ち受けているのは自分の死のみだと、その身に思い知らされているからこそ。
 ───“生きる為には、殺すしかない”ってか
 クロムが言ってみせた一言が突き刺さる。
 自らの道を選べるか、選べないか。そういった大きな違いこそあれど、本質的には彼らは同じなのかもしれない。そう考えて、毒使いは酷く泣きたくなった。
 最低な生き方しかしてこなかった自分に、どうしてこんなにも優しいのだろうかと。
 このまま死なせるのは忍びないと言い、あの時、砂漠で自分を拾ってくれた人の温もりを思い出しながら。
 自分は守られて、優しさによって生かされている。それを思い知らされた。
 胸に温かいものが広がっていく気がした。歪む視界に気がついて、下を向いて袖で目元を拭う。
 まだ、自分は泣けたのか───そんなことを思いながら、レリックに続くようにして歩きだす。

 

「セリアの様子は?」
「良く寝てるみたいです」
 そう言ってルエルがセリアの頬に手を当てる。すうすうと穏やかな寝息を立てている姿は、先程の豹変っぷりが嘘のようだった。セリアの様子を確認すると、レリックは指示を出し始めた。
「とりあえずは安定しているな。……さて、やってもらい事がある。クロムは長をここまで連れて来て、押さえつけていてくれ。動けなくしたと言っても、そいつ、相当あきらめが悪いみたいだからな」
 ため息をつきながら長を見やるレリック。相手はその視線を受けてぐっと声を詰まらせるような様子を見せた。
「で、でもよ。半分がなんか違う奴で、もう半分が元の奴なんだろ? なんとかなんのか?」
「なんとかするから、こっちに寄越してくれ」
 来い来い、とでも言うように手招きをすると、クロムは連れて行く為に長に近づいていった。続いて近くにいた毒使いを呼ぶ。
「お前はあの辺りに自分が入るだけの円を描いて、周りに流動の術式を。その際に、自分の横に土を盛り上げて、二、三滴で良いから自分の血をその上に落とせ。即席なものではあるが、あとで術式を足して変わり身の人形にする」
「そんなものでいいのか?」
「足りない分は魔力で底上げしてやるさ。ほら、貸してやるからしばらく持っていろ」
 そう言ってローブの内側に隠れていた短剣を手渡してやる。受け取った毒使いはそれをじっと見て、レリックに指示された辺りへと向かっていった。
「それから二人は人払いを頼む。村人も大分混乱しているだろうからな。さっき私がまとめあげた奴らをこっちに。村人へは『今から大きな術をかけるから、巻き込まれないように家の中にでも入っていてほしい』と言ってくれ」
「でも長を伸した訳だし、そう簡単に言う事聞くか? あいつら」
「ならばこう言うと良い。『王の勅命できた魔法使いの命令だ』と」
「それ、脅しじゃ……」
「まあ、嘘も方便と言うしな。高等魔法使いの肩書きというのは、こういう時にこそ使うものだよ」
 そう言って自分の着ているローブを摘んでみせる。ルエルとルイドは何か言いた気に口を開いて躊躇したが、ロウは全く気にせずに笑って突っ込んでいた。
「偉い奴の言葉じゃねえよ、それ!」
「偉い奴ねえ。どこの誰の事だか」
 とぼけてみせると、ロウは「いい性格してんな! おらルイド、いくぞ!」と言い残して、さっさと村人たちがいる方へと走っていってしまった。呼ばれたルイドはと言うと、彼とレリックとを見比べながら「え、えぇー……」とこぼしつつ追いかけていった。
「わたしは?」
「セリアの上体を起こして、術を解く間、抱いて支えてやってくれ。誰かが近くにいた方がいい」
「それなら、大将の方が」
「いいや、いいんだ。……私の読みが間違っていなければ、術を解く際に、母親を思い起こす事になる。父親よりも女性の方が、母親に抱かれているのに感覚が近くて安心するだろうからな」
「……わかりました」
 そうしてルエルはセリアの頭を上げて上体を起こしてやると、後ろから抱きしめてやる。ゆっくりと労るように頭を撫でて、大丈夫だからね、と小声で言っていた。
「と、そうだ。この村に来てから、体調を崩さなかったか? 何か食事を振る舞われたりは?」
「え、ええ。一度、スープを頂きました。そういえば、その次の日に私とルイドが熱を上げて……ただ、ロウは『嫌だ』って言って食べませんでしたけど。あとは村を出ていた大将が」
「恐らく微弱な呪術を盛られたな。もう影響はないはずだが、一応処置しておこう」
 右手に淡い光を宿してルエルの手を握ってみせると、一度だけ強く発光した。徐々に光が納まる様子を二人で見、レリックがそのまま立ち上がるとルエルは首を傾げる。
「あの、セリアちゃんは」
「その子なら大丈夫だ。もう自分で治しているよ」
 答えながら自分の腰元に結びつけていた金色の紐を解くと、一度だけ力強く振る。すると先程まで何の変哲もなかった紐がぴんと張りつめ、一本の長い棒へと変化した。それを使い、足下から術式を書き始める。
「魔法使いの素質がある者は、軽い呪術や毒を取り込んだり、傷を負ったりすると、身体が勝手にそれを治すんだ。魔力による自然治癒だな」
「そっか、リオラさんから……」
「ああ、彼女にも母親の素質が受け継がれている。それを利用された」
 地面へ書き続けながら、レリックが先程動けなくしていた数人の協力者を引きずって、近くまで来ていたルイドを呼んでやる。彼の手を握ってルエルと同じ処置を施すと、光っていた自分の手を見つめてルイドが不思議そうな顔をした。
「軽い術だよ。悪い影響はないから心配するな。時に、ロウは?」
「向こうで脅しつけてます」
 苦い顔をしながら後ろを指すので見てみると、村人を半ば無理矢理家の中に押し込めているロウがいた。ついでに地面に線を引いて、ここから先へは出るな! と叫んでいる。
 あそこまでしろとは言ってないはずなんだが、とレリックは呟いた。
「しかし、感の良い奴だな。確かにあの辺りが影響のある境界だ」
「え、適当に線引いてるようにしか……」
「私の魔力片が届いている範囲を感じ取ってるんだろう。彼は相当気配に敏感なんじゃないか?」
「俺たちと同じ世代の狩り師の中では、多分、一番」
「なるほどな。それで無意識に術のかかったものを口にしなかったと言う事か。普通なら、魔法使いでもない者がそんな微弱な魔力片に気づく事はないんだが……参ったね、将来大物になりそうな気がするよ」
 一文を書き終え、それを一度突くと文字が青く光りだした。そしてまた別の術式を描き始める。レリックの言葉に対し、やはり首を傾げるルイド。ルエルが軽く説明してやると驚いていた。
「でも、なんでそんなことする必要が?」
「君らがここに来た時───あの長に取り付いている者が───毒使いと似た魔力片を感じ取って利用するつもりでいた。それが誰かあぶり出す為に、食事に軽い呪術をかけて様子を見たんだ。魔法使いの素質がない者は術を取り除けずに体調を崩すだろうし、逆に素質があれば、体調を崩しても自分の魔力でやがて回復する。治す時に自然と魔力片が強くなるからな」
「あれ? でも、わたしたち自然に治って……」
「術自体があまり強いものではなかったからさ。強力な呪術をかけて、目当ての者が命を落とすような事があれば元も子もない。それに私が来た時点で、術が魔力片に当てられて収まったんだろう。完全に治ったとまではいかないが」
 書き終った一文を先程と同じように突く。すると今度は黄色く発光しだした。それ見ていた二人だったが、何故レリックが呪術を盛られたなどということが分かるのか。食事を振る舞われた時にはいなかった人物が知りうる事ではないと気がついて、同時に顔を見合わせた。
「ん? ああ、どうして呪術のことが分かったかって?」
 二人の様子を見ながらも次々と術式を書き足していく。書いては突くを繰り返してやれば、術式は辺り一面を鮮やかな色に染め上げ始めた。
「今回の件、クロムから魔術に関係しそうだと最初から詳細を聞いていた。それも毒使いが操られてる間にやったことだろう。その子を利用するつもりだったとすると、色々腑に落ちない点もある。最初から未覚醒の魔法使いと分かっていたなら、君らが来た時点で魔力を食ってやるなり、利用するなりすれば良かったんだ」
 やがて虹色に光り始めた地面を見やり、一度だけ足を踏み鳴らしてやれば地面に描かれていたはずの術式がふわりと宙に浮いた。
「なのに、そうはしなかった。なぜなら寄生している本体が弱っていて、微弱な魔力片を十分に読み切れず、魔力を持つ者が誰かまでは特定出来なかったんだ。そして長は、君らの中に魔法使いが紛れ込んでいたとすれば、見えない獣が出て来た時点で魔法で対処すると考えたんだろう。ところが魔法使いの気配はしても、獣に対してなんの対処もしない。だから、まだ魔法使いとして目覚めていない、魔力を溜めこんだ者がいると踏んだ」
 浮いた術式を一撫ですると、更に上へと浮いていきながらゆっくりと渦巻いて円形を作り始めた。見届けてから指を鳴らして光を飛ばしてやると、虹色に輝く円が早く回りだす。
「他人に寄生するのには相当量の魔力がいるからな。魔法使いならば魔法で抵抗されるだろうが、それが出来ない格好の餌が来たと言う訳だ。しかし、クロムが魔法使いを呼んでくると言い出した」
 レリックが描いた術式が回るその様子を、長を引きずりながら、感嘆の声を上げてクロムが見ている。
「俺がどうかしたか?」
「お前の判断は正確だったな」
「ん?」
「いいや、こっちの話だよ。……他の魔法使いに介入されると思っていなかった長は当然焦る。未覚醒の餌を食ってやるには都合が悪いからな」
 持っていた棒を片手でくるりと回し、先を倒れ伏している長へ突きつけてやりながらレリックは続ける。
「だからクロムが私を呼びにいっている間に呪術のかかった食事を振る舞った。クロムが呼び出しにいって戻ってくる距離を考えると、面倒な事になる前にあぶり出して、魔力を食うチャンスはそこしかなかったわけさ。王都ともなれば手練の魔法使いは多いからな。協力してくれそうな者を探すのもそう時間はかからないだろう。万が一の時は王宮に掛け合えば良い」
 じっと先を睨みつける長を見つめ返し、レリックはそのまま宙に式を書き出す。辿った軌跡が金色に輝き、突いてやれば虹色の術式の真上へ移動した。
「そしていざ来てみれば、あの騒動だ。私はクロムから事前に母親が魔女だと聞いていたし、かつ、読み取った限りで、その子の魔力片は毒使いと非常に似ている。おかしいと思ったんだ。魔力片は人それぞれ違うが、他人にしては似すぎている。おまけに二人から術独特の気配が僅かにあったしな。おおよその当たりを付けて聞いたんだが……間違っていなかったようだな」
 見てやれば、そこにあったのは苦々し気に顔を歪めた長の顔だけだった。

 

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