強大な魔力を持ち、恐怖と破滅をもたらす“悪魔の仔”
それは私の事であり、自分自身“それは真実なのか?”と思う時がある。
大切な人を失った瞬間を知らず、
あとには情けない仇討ちしか出来なかった、ただの子だったと言うのに。

あっと言う間だった。
恐怖で立ちすくんで襲われそうになったときに、私は仇を討った。
そいつの巨体は一瞬にして動きを止め傾き、地面に崩れ落ちた。

倒れた巨体を見て、「私達が怯えていたものはこんなにも弱かったのか」と思った。

その時、気がついた。
私が異常に恐れられている理由を。

ああ、そうか。

一瞬にして相手を殺す事の出来る、圧倒的な力。
自己防衛しかできない力。
誰も護る事の出来ない、呪われた力。

それが私の中に潜む力で、それ以上はあるが、それ以下はない。
私がそう思っていなくても、その力の持ち主はまさに悪魔と言えよう。
この身にある思いと力は相反し、力の方が思いよりも勝っている。

結局、私は悪魔の仔でしかない。

ならば。

人が私の事を“悪魔”と呼び続けるならば、私は喜んで悪魔となろう。

そうすることでしか、私の存在意義はないのだから。

 

 

 

第1章《訪れ》

 

1.【高等魔法使い】

 

 魔法界「レスネイション」。この世界では今、争いが絶えない。
 簡単に説明すると、大きな二つの勢力に分かれている。
 それは機械先進国『メシャニーゼ』と魔法推進国『エアファクト』。

 先進国『メシャニーゼ』。その国の十四代目王『ウォルテッド』が築こうとしているのは、今よりも機械技術が発達した世界。そうすれば今よりも民の暮らしは楽になるし、国事体も良くなるだろうと考えている。
 ただ、この考えを実現するにはかなりの労力が必要で、資金不足であり人手不足でもありの今の状態ではやっていけないから、そのためには多くの民を従え、味方に付けなければならない。おまけにこの世界自体が魔法が溢れた世界であるために、彼への波風は絶えない。

 対し、推進国『エアファクト』。十三代目王『バードウィッグ』は魔法を尊重していて、エアファクト事体が今のところ一番魔法使いが在籍している国である故に、協力するよう話を持ちかけてきたウォルテッド王の考えを断固否定。機械技術にまみれ、文化を失うよりも今の状態を保ったほうがいいに決まっているという。
 けれどこの国でも純粋な魔法使いや、正統な魔法の扱いを習おうとするものは年々減り、魔法を使って悪事を働く者のほうが多いのが今の現状だ。

 他にもエアファクト周辺の小国はバードウィッグ王の味方をしているが、それはメシャニーゼも同じだ。バードウィッグ王の考えについていけないという者は国を出てメシャニーゼに移り住んでいる。また、逆の場合もある。こんな訳で二国は対立し、争っている。新勢力も時折姿を見せるが、力の差のせいもあってか、あっという間に二国に潰される。
 どちらの味方にもつかない中立国もあり、そこに住むのは時代の流れに身を任せようという考えの者が多い。こんな所は旅人や国を渡り歩く商人の宿場、先ほども言った移り住もうと移動している者達の入国手続きの待機場所になっている。
 例をあげて説明すると、もしもエアファクトからメシャニーゼへ移り住むとなると、きちんと入国の手続きをしないと入れない事になっている。そうでなければ新勢力からのスパイと疑われ、良くて絞め出し。事情を聞かれ、スパイだと吐いてしまえばその後に処刑。残酷かもしれないが、そうでもしないと新勢力が乗り込み、力のバランスが取れなくなる。今相手にしているもの以外に新しく敵を作るなど、互いにとって不利でしかない。
 そして民は基本的に在籍する国の入国許可書しか持てない事になっている。
 もっとも、なかなか入国手続きが終わらずメシャニーゼ派、エアファクト派の者が中立国に住む事も多い。なので中立派はまだいいとして、街中でその二派同士の喧嘩が始まるなどしょっちゅうだ。
 商人のほとんどはどちらの入国許可も持っていて、どちらでも行商をするが、それは両国が暗黙の了解をしているからこそできるもの。どちらも基本的に渡り歩く者達を拒みはしない。何故なら手に入りづらい品物や貴重な情報を持っていることが多いから。それも敵国の事についてだ。
 ただ、どちらにも出入りするため自国の情報が敵側に知られるというリスクはあるが、同時に敵側の情報が入ってくるという儲けがある。上手いやり方とは言えないが、スパイを送り込んだり出来ない以上、こうして情報を集め、城では対策や敵国に攻め入るための計画を立てる。商人はというと、完全なスパイとは訳が違うので無闇に殺されないでいる。
 彼らは旅人や商人であると同時に、今の不安定な世界で自分の命綱をしっかりと握っている情報屋なのだ。

 さて、大体の説明はこれで終わりだ。ではこれから、話の視点を変えてみようか。

 

 中立国の一つ『フォーラルステイト』にある一軒の宿。この近辺では珍しい事に若い女主人が開いていて、飲食店と酒場も兼ねている。外観は古ぼけてはいるものの、それなりに賑わい、楽しげな雰囲気に包まれている場所だ。集まりやすい所らしく、客は仕事を終え仲間内で酒盛りをする者、カウンターで一人静かに酒を飲む者、恋人と一緒に来ている者など様々。
 そんな中でカウンターの一番端の席に座る人影。別に客が一人でいるということ事体は珍しくないのだが、この店の常連客は気さくな者が多く(というよりも、フォーラルステイトの住人のほとんどがそうだ)見知らぬ旅人などがいたとしても、誰かが声をかけ、それから共に飲むことが多い。けれど今回の客に関しては誰も近寄ろうとすらしない。
 聞こえは悪いが“不気味”。その言葉が一番近いだろうか。
 旅人が着るものにしては少し上等すぎるローブを纏い、フードを被って顔を隠しているので人相や容姿は分からない。右手にある赤ワインの入ったグラスを少し傾けては、また元に戻す。その動作を繰り返していた。先ほどから一口も口を付けずに。グラスに入っているワインの動きを楽しんでいるようにも見える。
 時折上がる笑い声の中、その様子を見ていることに気付かれないようにしながら、噂好きな者達はひそひそと話をする。この妙な客の噂をさっそく誰かに流すつもりでいるらしい。もちろん、もう少し観察してから。けれど観察されている当人はとっくにそのことに気がついていて、逆にチラリと盗み見ては、溜め息を一つ漏らす。
 店の女主人『シーファ・アイズバード』はそれに気がついているらしく、洗い終わったグラスを拭きながら噂好き集団を見、カウンターの端に座る妙な客を見、苦笑して口元を歪めた。それはいずれ流れるであろう店の妙な噂の事を考えてか、それとも妙な客に同情しているのか。
 そんな雰囲気が漂っていた店の中は、突然の大きな物音で一斉に静まる。
 音の正体は店の扉が乱暴に開けられたもの。扉を通って、少しくすんだ銀色の鎧を来た人物が一人、二人、と間を開けずに中へ入ってくる。客はもちろん動揺して身動く者もいたが、重苦しい雰囲気をまとった集団のリーダーらしき男───三白眼で、おまけにつり目ぎみ。少しきつい印象を与える───が見ると、ピタリと動きを止めた。
 シーファは動揺を隠し、何事も無いようにグラスを拭き続ける。あの妙な客は、グラスの中のワイン見つめたまま動かなかった。
「ん……? 何だ何だ!」
 酔った一人の男が声を荒げて立ち上がり、仲間らしい者は小声で「ば、馬鹿、やめろ!」と彼の服を引っ張って、無理矢理座らせようとしている。あのリーダーらしき男はそちらを向き、迷いもせずに歩いていく。部下らしい二名も同じように。客の視線は突然の訪問客に合わせて動き、彼らが通る延長線上にいる者は皆退いた。
 そしてリーダーらしき男が酔った男の元につくと、彼の右側についていた部下が前に出て男をいきなり殴った。殴られた男は酔っていた所為で受け身がとれず、そのまま床に頭を打ち付ける。同時に女性客の短い悲鳴が上がる。
「何しやがる!」とフラフラと揺れる身体で上体を起こし、口から流れる血を手の甲で拭いながら殴られた男が叫ぶと、後ろからついてきたもう一人の部下が「身の程をわきまえないからだ」と一喝。
「この方はメシャニーゼの先攻隊『旋風』第三部隊を仕切る『ディアガ・ランスファーダ』隊長であらせられるぞ!」
 続けて出たその言葉に、店の中の空気は騒々しいものから一変し、凍り付く。間を置いてざわつきはじめるとまたも部下の鎧が「静まれ」と声を張り上げる。その鎧の右肩部分には、一つの剣と宝珠、それに青の龍というメシャニーゼ国の紋章が描かれている。

 先攻隊『旋風』とは、メシャニーゼ王宮部隊の一つであり、戦時には一番に敵の元へ斬り込みに行く部隊だ。だが敵地に乗り込むためには、提案された作戦をスムーズにこなすだけの技量───つまり剣術───を持ち、状況を把握し、とっさの機転をきかせられる頭を持たなければならない。それと、第三部隊と言うからには第一、第二もあり、それ以降もある。
 そして先攻隊にはもう一つ『雷鳴』という部隊がいる。さらに付け加えると、先攻隊はただの寄せ集めではなく、全員騎士の試験を行い突破した者達で構成されていると言う。
 ただ、噂では『旋風』は騎士の上位合格者、『雷鳴』は脱落ギリギリの者で構成されているとか。簡単に言えば『旋風』はエリートだけで構成されているというわけだ。
 故にプライドが高いのだろう。部下の説明が続く中で、三白眼の男───隊長のディアガはあの酔っ払いを眉間にしわを寄せ、軽蔑の瞳で見下ろしていた。まるで汚いものでも見るかのように。
 睨め付けられている方は、大の男にしては、尋常ではない怯え方をしていた。歯をガチガチと言わせ、冷や汗をかいている。相手が『旋風の一部隊長』というだけで、ここまで怯えるのは何故なのか。それは他にも理由があったから。
 さすがにシーファも無視を決め込む事は無理だと思ったのか、グラスを拭く手を止め、延々と話……いや、これでは演説だ。それが続く方をカウンター越しに見る。店に乗り込んで来た目的はまだはっきりしないが、恐らく自分の王宮での地位を上げる為に、ここにいる者を武力と権力に物を言わせて強制的に自国の味方につけようというのだろう。
 こういうことはしょっちゅうある。自分の店で起きている出来事とは言え、下手に介入するとこっちの身が持たない。
 けれどいい加減、限界だろう。止めないといずれ喧嘩が始まる。今日は下がってもらえるよう頭を下げて、連中が帰るまで説得するしかない。そう考えたシーファは一つ溜め息をついて、止めに入ろうと動いた。が、それを「別に出ていく必要はない」と妙な客が止める。
「けどね、お客も怯えているし、ここらで止めに入らないと店がめちゃくちゃになっちまうよ」
「なら、私が止めてみせようか?」
 何気ない事のような口調で言うので、一瞬耳を疑ったが、妙な客は確かに止めてみせようか言った。あまりにも自信ありげに言うので、すぐにこれは何か要求があるなと思い、口を開く。
「で、報酬は何だい? 金かい?」
「いや、金ではない」
 これまたあっさり言うので「まさか店を譲れとか言い出すんじゃないだろうね」と少し不安になるが、予想は外れていた。
「この宿に泊めてもらえるか? 報酬はそれだけでいい」
 その答えに反面驚き、もう反面喜んだ。
 ここの宿代は他と比べて十クランとかなり安い。ここは元から飲食店だったが空いていた部屋があり、それを利用するつもりで宿を始めた。言ってしまえば、子供の小遣いでも泊まれるような値段だ。
 ───この客、着ているローブからして、別に金に困っているようには見えないけれど……。
 そう考えたが「あ、ああ、それくらいのことで追っ払ってもらえるなら」と答えた。それに妙な客は「助かる」と返して席を立った。その背中を見ながらシーファは「約束はしちまったが武装してる訳でもなさそうだし、本当に止められるのかねぇ」と、思わず考えた。
 ローブを来た妙な客は恐れる事なく、迷わずに部隊長のディアガの元へと歩いていった。それを入り口付近で待機していた他の鎧達が止めようとするが、どうしたことか。その場に張り付けられたように動けない。
 他の客達は妙な客をディアガ達が通ったときと同じように目で追う。そして妙な客はあっと言う間にディアガの左側にいる、まさに演説中の部下の後ろまで来て、ディアガ達の目の前にいる客───先ほど殴られた男を含めて───は驚き、目を見開く。
 そのまま臆せずに、妙な客は部下の鎧に覆われた肩をトントンと叩く。演説を止められた部下は「ああ?」と驚いたような、少し間抜けな声を出しつつ振り向き、その前にある姿を見て顔をしかめる。
「誰だ。ディアガ様の武勇伝語りを止めるとは良い度胸だな」
「武勇伝? 冗談はやめてくれ。あまりにくだらない話が続くもので、酒を飲む気が失せた」
 その言葉に部下は息を飲み、もちろんディアガ本人は怒ったらしく、ただでさえ鋭い目つきが一層鋭くなり、他の客はと言うと驚いて目を見開いている者から青ざめている者までいる。信じられないと言った様子で部下は声を裏返らせ、途切れ途切れに確認をする。
「貴様、今、何……と言った?」
「くだらない、と言ったんだ。突然飛び込んできたかと思えば、自慢話で日頃の鬱憤を晴らしにでも来たのか?」
「くだらない……だと? この無礼者が! その口切り裂いて二度と聞けないようにしてやる!」
 話していた部下は腰から剣を抜き「くだらない」と言った張本人である妙な客の眼前へと刃先を向けた。ただ剣の扱いになれていないのか、それとも脅しではなく、本気でこの場で口を裂く気だったのか。刃先が当たりそうになり、妙な客はそれを少し下がってかわした。同時に「かかった」と思ったのは、避けた本人しか知らない。
 かわされたことで逆に怒りが煽られたらしく、部下は唸るとさらに仕掛けてきた。他の客はその様子を見て騒ぎはじめるが、妙な客は繰り出される剣を全てギリギリの所でかわし、いつの間にか間合いに入って、鎧が剣を掴んでいる右手首を掴み、空いている手で剣を叩き落とした。
 そして何をしたのか、手首を返して自分より一回りも体格の大きい部下を入り口付近に吹っ飛ばし、待機していた他の部下数名は飛んで来た部下と一緒に、もみくちゃになって外に放り出された。ぶつかり合う激しい金属音が店の中に響き、外へと遠ざかり、少し間を置いてざわめく声がした。
「この!」叫ぶと、控えていたもう一人が剣を抜く。先ほどの部下よりもずっと剣の扱いは慣れていそうだ。それすらもかわし、妙な客はぎゅっと剣を持っていた手を掴む。
「相手はする。だが他の客に迷惑だから表へ出ないか。先攻隊と言うからには、ここでは歩が悪い事にも気がついているはずだが?」
 部下は妙な客に言われてハッとした。確かにこの場では客が邪魔になり、剣を思う存分に振るえない。まあ、客の生死を気にしないのなら話は別かもしれないが。その考えに乗って、一度剣を戻そうか迷っているところに、後ろから「退け」と低い声が聞こえた。ディアガだ。妙な客は手を離し、部下は命令に従ってそこを退いた。
「貴様、自分から喧嘩を売っておいて、さらには人の部下に忠告か……名を名乗れ」
 妙な客はしばらく無言だったが、やがて口を開き「……レリック」と一言だけ言う。
「不服だが、その名前、この俺に初めて楯突いた者として憶えておいてやろう」
 言いながらディアガは腰にあった剣を抜き、周りの客は皆引いた。中には「『竜殺しのディアガ』が本気になったぞ」と怯える者まで。王宮のたった一部隊の隊長、それもメシャニーゼやエアファクトとは関係ない、中立国の者ですら彼に必要以上に怯えているのは、ディアガが<竜殺しドラゴンキラー>という異名を持っているからだ。

 この世界には竜───強力な魔力を持った生物が存在する。劫火や氷を放ち、一撃で一村を壊滅させるなど当たり前。通常の人の力では到底及ばず、魔力を使わずしても一瞬で数百人を殺せるだろう。人や動物、動物が凶暴化した獣を喰らい、その咆哮は山三つを越えて聞こえるという。 近年は戦争のせいか被害をあまり聞かないが、十数年前にはしょっちゅう現れていた。
 だがディアガはメシャニーゼの先攻隊に入る前、竜を何匹も狩っていたのだ。一匹の竜を退治するのに選りすぐられた何十名という軍隊で相手をするのならまだしも、ディアガはたった一人で、だ。故に常人では考えられないほどの力量の持ち主であるディアガは<竜殺し>の異名で呼ばれるようになったのだ。

 そんなディアガにこの妙な客、『レリック』は喧嘩を売った。店から追い出す。それだけの為に。無事で済まないどころか、殺されるぞと周りは騒いだ。シーファは止めに入ろうとしたが、もう遅い。
 近くに居た女性客が叫び声を上げ、連れ子なのか、これから起こるであろう惨劇を見せない為に小さな子を抱きしめた。夫らしい男性客が二人を庇うように抱える。
 ディアガの剣が振り降ろされた。それをレリックはただ呆然と見ているだけだ。死に直面していると言うのに、暢気にも、レリックはある事を思い出していた。


“僕についてきたら駄目だってば。『   』まで仲間はずれにされるよ”

“どして?”

“この『  』め!”

“とうとう正体を現したぞ……『   』の子を殺しやがった!”

“違う……僕じゃない……僕……”

“私の……私の『   』を返して!”


 確か、あのくらいの歳だったか。随分と昔の記憶だ。
 そんな事を考えながら、振り降ろされてくる剣を避けた。ディアガは剣を振り続けるが、部下のように避けられた事で熱くなるわけでもなかった。元から怒っていたから。レリックは見事なまでに次々とかわしていたが、段々と壁際へ追い詰められている。
 ……いや、それは違った。
 当たらない事に痺れを切らし始めたのか、段々と剣の振りが雑で大きくなってくる。ディアガが渾身の力で突きを繰り出すと共に、扉が開いて外へ出た。そこには、レリックに投げ飛ばされた数名の部下。その時になってディアガは初めて誘導されていた事に気がつく。
「これで剣を思う存分、振るえるだろう?」
 今まで本気でやっていなかったんだろう、とでも言いたげにレリックはディアガを見た。ディアガは息を切らしながら怒りのせいで顔を赤くした。彼は、本気でレリックを殺すつもりで剣を振るっていたのだ。それを遠回しに本気を出してはいないだろうと言われれば、怒りも頂点になる。
 他の店にいる者や通行人、シーファの店に来ていた者も含め、野次馬達が集まりはじめた。ディアガは息を整え、またも剣を持って襲いかかる。レリックは身動き一つしなかった。
 いざと言うときには『あれ』がある。そう考えて。
 ただ、レリックが準備していた物を使うまでもなく、振り降ろされた剣は別の剣に受け止められた。
 止めているのは、メシャニーゼ国の紋章が入った鎧を着て、ブロンドの髪と青の瞳を持つ、ディアガよりも十は若い青年。青年は剣を受け止めたまま「辞めろ。『疾風』の名を落とすつもりか」と言う。
「こ、これは『ジャネリック卿』! 王宮にいたはずでは……」
 あれほど怒っていたディアガが、剣を止めている人物に驚いて力を緩め、剣を下ろした。青年は剣を鞘に納め、レリックの方に向きなおる。
「申し遅れました。私は、ジャネリック卿ハーグランド。部下が失礼を致しました」と。レリックはフードに隠れていて、顔色は見えなかったものの「謝るのなら、私ではなくあの店の主人と客に謝るべきだ」と返す。
 野次馬達は『ジャネリック卿』の名前を聞き、ざわつきはじめる。
 ディアガの剣を止め『ジャネリック卿』と呼ばれたこの青年は、幼くしてメシャニーゼの王宮騎士となり、今では“卿”の名を獲得して『旋風』から『雷鳴』、王宮部隊の全てを取り仕切っている。つまりディアガの上司であるというわけだ。
 しかも『竜殺し』のディアガの剣を受け止めるなど、常人では考えられない。
 ジャネリック卿はディアガの方を向き、先ほどの質問に答える。
「なに、部下の素行が怪しいので出て来たのだ。来てみれば案の定、お前がこの方に剣を振るっていたではないか。ついて来い。そして迷惑をかけた事を謝れ」
 さすがに上司だけあってか、『竜殺し』のディアガを相手に毅然とした態度で命令する。ディアガはと言うと「御意」と言葉とは裏腹な顔で言い、さらに続ける。
「でも、一つ言わせて頂きたく存じます」
「何だ。言ってみろ」
「この者だけは許せません。この者は身のほど知らず。人の事を馬鹿にし、喧嘩を売ってきました。これでは『旋風』を馬鹿にしているも同じ。故に私は誇りを捨てるわけにはいかないと考え、この者の相手をしたのです」
 野次馬達は「何? 喧嘩売った?」「命知らずだぜ、アイツ」「ジャネリック卿が黙っていないぞ」と、ますます騒ぎ、ジャネリック卿についてきた部下が「見せ物じゃない」「静まれ」「下がれ」と制す。ジャネリック卿は溜め息を一つ吐くと、呆れたように言い放つ。
「これでは、馬鹿にされるのも当たり前だな」
「な! どういうことですか!」
 ディアガが喚き、ジャネリック卿が驚いたように返す。
「気がつかないのか? 私はこの方を、<高等魔法使いアークウィザード>とお見受けするが」
 ジャネリック卿の言葉に、ディアガは息を詰まらせる。
 <高等魔法使い>。この魔法界レスネイションで、魔力、知識、技術、全てにおいて通常の魔法使いを凌駕し、国中の王にそれが認められた者にだけ与えられる限られた称号。噂では竜すら越える魔力の持ち主で、大賢者とも呼ばれている。
「こ、この者……いや、このお方が……ですか?」
「そうだ。この方はお心が広いようだ。普通ならお前は魔法火で焼かれ、すでに跡形もなくなっていただろうな」
 その台詞を聞いて、ディアガは汗が伝うのを感じ、さらに小さく悲鳴を上げる。そして「申し訳ありませんでした」と、最初にレリックに向かって来たときとは全く違う態度で謝った。
「確かに、高等魔法使いの称号は王達から頂いているが(この言葉にディアガがまたも「ひいっ!」と悲鳴を上げた)私はそんなに大それた魔法使いじゃない。それに喧嘩を売ったのも本当と言えば本当だ」
 レリックはそのままシーファの店の中に入り、ジャネリック卿、ディアガ、ディアガの部下、と続いた。ジャネリック卿は、まだ恐れ戦いているディアガを叱りつけ、部下と一緒にシーファと客へ謝らせた。その態度のなんとも情けない事やら。
  竜殺しの異名が泣くぞ。と汗を流しながら客は思ったという。
 続いてジャネリック卿は自らも謝った。シーファはと言うと、まさか王宮お抱えの騎士ジャネリック卿が来て、しかも部下の事で自ら謝るとは思わず、慌てて自分まで頭を下げる。さっきの騒ぎでレリックのことも聞いていたらしく「先ほどは不躾な態度で……」と言い出す。
「いや、謝られなくてもいい。私はそんなに大それた者ではないし、むしろこの状況では私が謝るべきだ。私が煽ったせいで随分と危ない目に合わせてしまったようだからな……」
 レリックはボロボロになっているテーブルと椅子を見ながら言った。二人が話をしている間に、ジャネリック卿は部下を呼び、一つの袋を準備させて、それをシーファに渡した。中には随分な量の金貨が入っている。
「な……あの、こんなに頂くわけにはいきませんよ」
「いや、受け取ってくれ。新しく仕入れなければならない調度品のこともあるだろう。それと、その金でこの高等魔法使い殿に部屋を貸してやってもらえないか」
 ジャネリック卿はレリックを見、レリックはそれに言葉を返す。
「ジャネリック卿、宿代なら自分で払えます。それに」
「こうでもしないと、昔の恩を少しも返せないのでね」
 にこにこと愛想の良い笑みを浮かべながら、ジャネリック卿は言った。

 

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10クラン=魔法界レスネイションの通貨で、500円ほど。